以前読んだ旅行本に、
【タイの若者は刹那的だ】
と、書いてありました。
<刹那的>という言葉が、何を表しているのか、筆者の意図がよく分かりませんので、ここでは論評しませんが・・・。
もう40年も前、私が千葉に住んでいた頃の話。
若いタイ人の女性が何人か、M市のスナックに働きにきていました。
契約では、《来客にお酒をつぐだけの仕事》と言われていたのですが、実際には、屈辱的な仕事を強要されました。
皆で逃げようとしたのですが、パスポートを取り上げられているので、このままでは、母国に逃げ帰れないと思い、共謀して、スナックのママさんを殺してしまいました。
日本語もままならない彼女たちは、M駅で全員、捕まってしまいます。
その後、判決が下りて、彼女たちは、千葉刑務所に収監されました。
ある時、私とタイの僧侶と、二人で面会に行ったのですが、その時、僧侶が彼女たちに言ったのが
「すぎてしまった、悪い出来事は忘れて、素知らぬ顔をして、タイに戻って来なさい」
「タイの村で噂になったら、お寺に来て、住めばよい」
当時、<後悔は悪作>という教えを知らなかった私は、大変に驚きました。
生真面目タイプの私は、有罪判決が下されるほどの、自分のなした悪事は、一生反省しつつ、頭を垂れて生きていくべきだと、思っていたからです。
後悔は悪作、と知ってからは、私も、少しくらいの失敗に、アタフタすることはなくなりました。今は、大きな困難は中くらいに、中くらいの困難は小さく、小さい困難はなかった事に・・・こんなマジックも出来る様になりました。
ゴータマ仏陀の、この教えを知らない日本人には、
【タイ人は刹那的】に見えるのかも知れません。
後悔は悪作。心に沁みる教えです。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>