Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(61ー5)(私家版)

一つ一つの心は、皆、一個の所縁を取る。ここでの例では、新しい一世の結生識は「花の色彩」を所縁として取る。有分識もまた、「花の色彩」を所縁として取る。死亡識も又「花の色彩」を所縁として取る。故に、結生識、有分識、死亡識は、実は同じ一つの心識であり、同じ一つの所縁を取ることが分かるーー即ち、過去の臨終速行心の所縁を所縁とするのである。。。。。。                 それらは、果報心である。。。。。。             これは、布施をした善業によって生じた果報である。結生識の生起は、過去の業による、その、既に熟した所の果報から齎される。。結生識、有分識と死亡識は、皆同じ一個の心識であり、名称が異なるだけである。。。。。。。                  それらは、異なる時刻に、異なる役割を演じるのである。例えば、それが結生心であるその時は、それは生まれたばかりの時刻である。。。                結生心の役割は、過去世とこの一世とを結びつけるのである。。。            有分識である時は、生命流が中断しない様に、その役割を担うのである。。。      死亡識である時は、死亡の作用を担うのである。。。                   例えば、私が、実家に帰れば母親の娘を演じ、今ここでは、教師であり、寺院に戻って和尚と一緒の時は、和尚の弟子となる。私は一人であるが、しかし、異なる場面において、私は異なる役割を演じる為、異なる名称を持つのである。