如何にして第一と第二聖諦を知見するか
一、定力の育成
一つひとつの色聚の中の、それぞれ一種類の色法を見る事が出来るならば、それは究極色法を見たのだと言えるが、しかし、これには強くて力のある禅定を具備する必要がある。
唯一、強くて力のある禅定によってのみ、如実知見<注33>する事ができる。
例えば、仏陀は《諦相応・定経》(Samādhi Sutta、Saccasaṃyutta)の中において以下の様に強調する:
「比庫たちよ。
定(samādhi)を修習しなければならない。
比庫たちよ。
定力(samāhito)のある比庫は、如実に了知することが出来る。
何を如実に了知するのであるか?
[1]『これは苦である』と如実に了知する、
[2]『これは苦の集である』と如実に了知する、
[3]『これは苦の滅である』と如実に了知する、
[4]『これは苦の滅に向かう道である』と如実に了知する。
比庫たちよ。
定を修習するべきである。
比庫たちよ。
定力のある比庫は、如実に了知することができる。」(S.5.1071)。
こうした事から、パオ森林僧院において、我々は、禅修行者に対して、先に入出息念(ānāpānassati)と十遍の修習を教導する事を通して、強くて力のあるジャーナ(安止定(appanāsamādhi))を育成するか、または四界差別(四界分別、catudhātu vavatthāna)によって、近行定(upacārasamādhi)を育成する<注34>。<注35>(ママ)。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>