Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-105

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 行道清浄(paṭitadāvisuddhi)とは何か? それは、近行定及びその相応する所の、法である。 捨の強化(upekkhānubyuhanā)とは何か? それは、安止定(ジャーナ定)である。 満足(sampahaṁsanā)とは何か? それ…

「身念処」(翻訳文)1-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-1-1 仏法とは何か? 1-1-1-1 略説 真正なる仏法は、寺院でもないし、仏像でもないし、僧に供養する食べ物でもないし、儀式でも、ない。 これらの物事は、非常に価値があるけれども、しかし、真正なる仏法ではな…

「身念処」(翻訳文)1-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 今日、世界の人口は、どんどん増えている。 そして、人は、前代未聞の裕福な生活をしている。 しかし心内は、却って空虚に感じられる。 その為、徐々に、四聖諦と中道法を学ぶ人が、増えて来ている。 釈迦牟尼仏…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-104

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 初禅において捨の強化は中: 中にはいくつ、相があるか? 中には三つ相がある: (一)今、彼は平捨(=平等に捨て去る)に清浄心を、傍観している; (二)彼は平捨に、それがすでに、寂静の為に道を切り開いた…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-103(109/415)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-8-7 ジャーナにおける三方面の善及びその10の相 三つの方面における善とは: 初善、中善と後善である。 10の相とは、初、中、後における相を言う。 以下にその経文を紹介する: 「初禅において、行道清浄は初、…

是誰庵のひとやすみ~アチャン・ネンについて

今日から翻訳が始まりました「身念処」は、タイのアチャン・ネンの作品です。 私は翻訳を始める時決して、目的の本を、最後まで読む・・・という事はしません。 中ほどに、難しい表現が出て来ると、萎縮してしまいますので、中身は確認しないまま、「エイヤ…

「身念処」(翻訳文)1-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1.1 仏法 2600年前、インドの北方にある小さな王国の王子シッダタは、人生における苦の様相を見た為、妻子を置いて、己独自に、苦の滅の方法を、探し求める事にした。 彼は、当時の印度の苦行者の修行の目標に追…

「身念処」(翻訳文)1-1(5/203 )

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第一章 理論 一切の有情は、既に生まれたものも、これから生まれ出ようとするものも、彼らの躯殻(=身体の殻)を残して死ななければならない。 この有情の共通の運命を知ったならば、智者は、修行に努力して、高…

是誰庵の一休み~「メーチ・ケーウの物語」翻訳完了

「メーチ・ケーウの物語」の翻訳が、本日(10月7日)、完了しました。 内容が面白くて、ついつい、パオ・セヤドーの「顕正法蔵」を、後回しにしてしまいました・・・^^;。 明日から「顕正法蔵」の翻訳を再開し、他に「身念処」(Vipassana Bhavana)とい…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)8-4(付録)最終稿

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”よく気を付けて、慎重に八斎戒を守るように。 あなたまず、世俗の門を閉めて、解脱へ向かう窓を開けなさい。 よく覚えておくように; 持戒の真正な目的は、戒の精神を、あなたの思想、言葉と行動の上に、体現す…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)8-3(付録)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”これから以後、必ず梵行生活を送るように。 如何なる男女関係も持ってはならない。 淫行と情欲は、心身の清浄を破壊し、修道の目標とは180度異なる。 故に、慈心と敬虔で誠実な心をもって、淫欲のエネルギ―の、…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)8-2(付録)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”三宝に帰依する事は、究極解脱の基礎である。 戒は、我々が修道する上においての規範であり、悟り・覚醒の助縁である。 敬虔に持戒すれば、我々の心は罪を犯す事がなくなるし、懊悩する事もなくなる。 また、戒…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)8-1(付録)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <アチャン・カンパンが メーチ・ケーウに語った戒と律> ”仏法僧の三宝に帰依する事は、一人の仏教徒が仏法を追求する所の、第一歩となる。 また、最も根本的な、第一歩でもある。 仏陀は円満なる覚醒者の模範で…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> 我々の、この世間で得られる知識は、 非常に有用かも知れない。 しかし、どのような知識をもってしても、 真実に己を理解する事とは 比べものにならない。 肉眼で得た理解と、 心霊で得…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> 我々は、生まれてはまた死に、 死んでは、また生まれ、 生、老、死が、輪転して止まない。 我々仏弟子たるもの、決して、 己自身の真実に関して、 何一つ知らないまま、 命朽ち果てるな…

是誰庵のひとやすみ~心の苦痛

「メーチ・ケーウの物語」を翻訳していましたら、「心は苦痛に満たされ・・・」というような語句が何度も出てきます。 本当にそうだなぁ、と思います。 先日、日課の水中運動に行ったとき、3人ほど、本当に久しぶりに出会った人がいて、一人ひとり挨拶して、…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> 決意して、 禅の修行に精進し、 あなたの心を鍛錬しなさい。 心身のすべてを、 仏法の追求に投げ入れ、 松明のように、 あなたの心でもって、 道を照らしなさい。 真心でもって 修行し…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> 人の心は、苦痛で満たされていて、 何ものをも、はっきりと知る事が、 できない。 間抜けな人は、 肩で風を切って、苦悩を迎え入れ、 己の欲望に捕らわれ、その中に陶酔し、 苦痛を快楽…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> あなたは、村全体の茅葺の家の屋根に 使う萱を、すべて用意する事はできない。 布施は、自分の出来る範囲で、実践すべし。 もしあなたが、何か恥ずかしい事を してしまったならば、 な…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> この世間に生まれ出たあなたは必ず、 己自身に生まれながらに伴った智慧を 頼りに生きなければならない。 あなたは快楽・・・楽しさを追求しても よいし、珍しいものを探し求めてもよい…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウの荼毘は、翌日の午後、卉晒女性専門道場で挙行された。 200人を超える比丘と、数千人を超える信徒が出席し、最後の敬礼を捧げた。敬意と敬虔なる誠意を表す為に、男女の出家衆と在家信徒は、一列…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウの下あごが垂れ、頬は凹み、皮膚は青白くなって、皺だらけになった。 身体は、ベッドに横になったまま、身体の一切が、老いと病という二つの明確な象徴を顕し、大声でそれを、知らせているようであ…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウの古い有形の肉体は、ゆっくりと朽ちて行った。各種の器官の機能は、日ごと衰弱した。 この事に関して、彼女は既に、変化する色身の様相を見通していたので、このような局面に対面することは、遠い…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ペンスリ医師は、当時の体験を振り返って、メーチ・ケーウを治療したことは、医師としての己にとって、一番大変な時であった、と述べている。 彼女自身が修行中の身であったので、阿羅漢であるメーチ・ケーウを治…

是誰庵のひとやすみ~小心翼々

「メーチ・ケーウの物語」を翻訳していましたら、<小心翼々>という言葉に、出会いました。 <No6-7>の中にある文です。 「修行の道を歩む人は、<小心翼々であれ>」と、メーチ・ケーウは言うのです。 私たち仏教徒の内、本気で悟りたいと願っている人は…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-9(220/240)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 作為仏弟子、 (仏弟子たるもの) 我們絶対不可以て対自身的実相一無所知、 (決して、己の実相について、無知のままに) 任由生命腐朽。 (生命を虚しく、朽ち果てさせてはならない。) 死亡時、要做到対心身没…

是誰庵のひとやすみ~メーチ・ケーウと共に

閲覧頂いている皆様へ: 「メーチ・ケーウの物語」、後、余すところ12ページほどです。 メーチ・ケーウの<最後の様子>と彼女の<語録集>と、途中で飛ばしてしまった原文p77~79の、<戒律の解説文>で、翻訳が終了します。 外国で修行されている日本人メ…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 彼女は、彼女たちに、以下のように訓戒した。 話しをする時は、根拠のある事柄を話し、適切でない事柄は話さない。 一切の苦難を耐え忍び、禅修行に励み、己の、本来の面目を探し求める事に奮闘し、修行者の模範…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 提出問題之前、 (人に問題を問う前に) 先在内心尋找答案。 (まずは、己の心の内に向けて、答えを探すべし) 你找的話、 (あなたが探せば) 通常都能找到答案。 (大抵の答えは、心の内に、見つかるに違いない…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-6(211/244 )

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウは、森の中の薬草に詳しく、また、民間療法にも精通していた。 新しい道場に戻ると、彼女は即刻、付近の森に入って、根や茎などの薬草を探し、持ち帰って、老メーチの治療に用いた。 彼女は細心の…