Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-21

最初は、高くかつ深く修行している修行者について。 彼は長期的な訓練を経て、身体と心理の二つの方面において、一日中、二日、乃至七日という長い時間、定に住する事ができるようになっている。 そして、彼は、定から出たいと思ったならば、即刻、定から出…

是誰庵のひとやすみ~パオに出会って

私は子供のころから仏教が好きで、経典を、 手当り次第読んでいました。 ある時、経典に、このような文言があるのを、 見つけました: 「一日無常をみる者は、見ないで 100 年 生きるより、よい」 えっ、これは一体、何を言っているのだろうか? 「無常とは…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-20

多くの修行者は、このような問題に遭遇する: 彼ら自身は出定したくても、心は、出定したくない。 彼らは往々にして: 彼らの心は、出定して何秒かの後、また再び入定してしまうのである。 これこそが、修行者に禅相が現れ始めると、夜、入眠できなくなる理…

是誰庵のひとやすみ~佐々井秀嶺師来土

佐々井秀嶺師、みなさん、ご存知の事と思います。 早世されたアンベードカル師の後を受けて、インドにて、ヒンズー教から、仏教への改宗運動を指導されている方、日本人です(現在、インドで、仏教徒は、2億人まで増えたそうです。) その佐々井秀嶺師が、高…

是誰庵のひとやすみ~クムダ・セヤドー海を渡る

20年前、ミャンマーのパオ森林寺院本山の住職 パオ・セヤドーが、在日ミャンマー人の法話のために来日されたのが、日本での、パオ・メソッドの紹介の始まりでした(パオ・セヤドーは、ご自分の指導方法をパオ・メソッドと称されるのを好まず、「仏陀の瞑想法…

是誰庵のひとやすみ~ファスト瞑想

ゴータマ仏陀の教えとは戒・定・慧の三学だ、と言われます。 戒を守って、人間関係を良きものにし、安定した心で定(サマーディの事。広義は、ジャーナも含む)に入れるように訓練し、訓練によって、定に入れるようになった者には、仏陀の教えた智慧の真髄が…

是誰庵のひとやすみ~考えない事

以前、当ブログに<怒らない事>について書きましたが、今回は<考えない事>について・・・。 クムダ・セヤドーが指導される、大阪の瞑想会に行ってきました。若い人も大勢参加されていて・・・ある人から以下のような質問がありました。 「瞑想する時、考…

是誰庵のひとやすみ~仏教の原点

私は子供の時から仏教が好きで、随分早くから、仏典を手当り次第、読んでいました。 その頃は、仏典と言えば大乗仏典の事で、中村元先生の原始仏教系の経典は、まだ世に出ていなかったと思います。 ただ、不思議なことに大乗経典を読みながら、子供心に「ゴ…

是誰庵のひとやすみ~マイネーと白い雲

最近のインターネットでは、寺島しのぶの長男まほろ君が歌舞伎デビューした、という事が、ニュースとして、画面をにぎわしています。 その見出しが <寺島しのぶ、まほろ君を2歳から超英才教育> ちょっと嫌だな、と思いました。 まぁ、我々庶民、子供が高校…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-19

三、結行 結行(定の修習における、終了の仕方) --心を収める事と、功を収める事 (=瞑想を終了、切り上げる事) 彼は、希望する処において、希望する時において、希望する長さの時間において、なんらの困難もなく(初禅などの)定から出てくる。 これが…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-18

6、身正直性・心正直性 (kyujjukat、cittujjukat) 身正直性:心所が正直(=まっすぐ)で、嘘がない事。 心正直性:心が正直で、嘘がない事。 正直性の障礙:(修行の目標に対して)冷淡である事。 障礙が発生する原因:あなたの心がますます静かで、平和に…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-17

5、身練達性・心練達性 (kya-pguññat、cittta-pguññat) 身練達性:心所が健全で、病的でない事。 心練達性:心が健全で、病的でない事。 練達性の障礙:執着が習慣化している(本来的に認識している粗雑な空間に執着している)。 障礙が生じる原因:本来的…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-16

4、身適業性・心適業性 (kya-kammaññat、citta-kammaññat)kya原文ママ。kayaが正しい?ー後ほど確認しますー訳者 身適業性:心所が、目標を縁に取ることに成功する事。 心適業性:心が、目標を縁に取ることに成功する事。 身適業性の障礙:保守に回る(「(…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-15

2、身軽快性・心軽快性 (kaya-lahut、citta-lahut) 身軽快性:心所の沈み込みがない事(活発である事)。 心軽快性:心の沈み込みがない事(活発である事)。 軽快性の障礙:緊張。 障礙の発生原因:過度に定の修習の目標を憶念する事。 矯正の方法:直覚…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-14

【定力を深める六つの素因】 あなたが、上述(No1-13)の、二つの原則を善用して、定の修習をする時、あなたの定力は、修行した時間に伴って、増強される。 この段階で、もし、あなたが良い師を見つけることができたならば、それはとても良い事である。とい…

是誰庵のひとやすみ~翻訳頻度落ちます

これより先、5月末まで、瞑想会参加等で、 何かと忙しく、翻訳頻度、落ちます。 家にいられる日は、できるだけ、一篇だけ でも翻訳したいと思っていますが・・・ 出たとこ勝負、という事で。 よろしくお願いいたします。 Pañña-adhika Sayalay

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-13

心の中にどのような境地、境界・・・たとえば、光明、喜悦、または愉快な感覚等が生じようとも、心内では、ただ修行の目標に対する微細な覚受(=知覚と感受)を、自在に、保持するのが正しい。 光明、喜悦や愉快な感覚が、自然に発展するのを、そのままに、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-12

もし、修行において、「自在」に遍重しすぎて、「体験」を軽視したならば、軽安、定、捨の三覚支のパワーが、択法、精進、喜の三覚支より強くなってしまい、その結果、心は、懈怠の方へと傾いてしまう。 反対に、もし、修行者が「体験」に重きを置きすぎて、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-11

【自在とは何か】 定の修習において、重要な一つの秘訣は: 自在に体験する事、である。 「自在」とは、心に求めるものがなく、障礙のない(+心理)状態であることを言う; 「体験」とは、目標の感受である。 ここでは、「自在」と「体験」という二つの項目…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-10

【如実とは】 「1%は1%、2%は2%」。 ここで言う「如実」とは、<今・ここ>の境界がどうあろうとも、そのありのままに、それを体験することを言う。 すなわち、1%なら、1%分の体験をすればよい、のである。 定の修習をしていて、(+瞑想の)縁に取っ…

是誰庵のひとやすみ~愚僧による無我に関する覚書(レベル低いかも)

仏教で言う「無我」、これは何であるか、なかなか説明が難しいです。 大きく分けて、テーラワーダの<無我>と、大乗禅宗系の<無我>が微妙に、というか、大いに違う(ように私には思える)。 テーラーワーダで言う<無我>は、 (1)己の人格は架空である…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)-5-50

8-6-3 禅相の(巧みな)掌握 禅相を巧みに掌握するとは: (一)安般念、またはその他の業処を通して、未だ生じた事のない心一境性の相(禅相)を生起させる事に、巧みであること; (二)すでに生起した禅相を、育成するのに巧みな事; (三)育成して、す…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-9

第二に、「落ち着いていて、優しさ(=柔和)に熟練している」とは、どのような事か? どのようにすれば、平静と柔和に到達できるのか? (+もし)我々に、自在な心があり、(+その心が)何かの事実に「接触」する時、我々は軽々と、一切の変化ーーそれが…

是誰庵のひとやすみ~安般念と正念正知

安般念は、インドの古い言葉で <アーナ・パーナ・サティ>と言われているものを、昔の中国人が、漢語に翻訳したものです。 ですから、音訳で安那・般那・念ともいい、意訳では、出入息念とも、言います。 文字通り、己自身の鼻孔から出入りする息を観察する…

是誰庵のひとやすみ~回頭是岸

台湾のお寺に行くと、山門によく<回頭是岸>と書いた扁額が掲げられています。 <彼>という文字を足して<回頭是彼岸>と言えば、はは~、と納得される方も多いと思います。 仏教徒は、一応、涅槃(彼岸)を目指すというのが、基本のセオリーとなっていま…

是誰庵のひとやすみ~賢い子ども

先日、ある小さな集会に出ました。 雑談で「仕事が忙しい時に、それに上乗せするように、アレコレ指示されると腹が立つ」というお話が、ありました。 よく分かります、よく分かります。 以前の私もそうでした。 でも、息を観る瞑想(安般念瞑想)をウン十年…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-8

二、正行 正行(定の修習における心の用い方・法則) ーー如実と自在 「渇愛に征服された人、彼の行道は艱難辛苦(苦行道)であり;渇愛に征服されない人、彼の行道は容易(楽行道)である。」 「落ち着きと優しさに熟練しない人、彼の行道は艱難辛苦であり…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-49

また、信と慧とを、バランスしなければならない。 止禅の業処を修習しようとする修行者にとって、強固な確信は、有益である。 というのも、多少信へと偏向した心は、安止(+定)へと導くことができるから。 もし人が、「安般似相に専注する定力を育成したな…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-48

また、もし、定が強く、精進が弱い時、定には、懈怠を生じる傾向があるために、心が懈怠に征服されてしまうことがある。 故に、あなたは、気の抜けた、だらしない心で、安般念似相に専注することをしてはならない。というのも、そうすると、それは懈怠の助縁…

是誰庵のひとやすみ~日本の仏教界

先日、新しく開業した病院に行きました。 最近、血圧、息切れ等、少々気になる体調の変化がありましたので(結果は、ノープロブレムでしたが)。 それで、頭が坊主になっている理由を、初対面の医師に説明した所、大変に驚かれて、二人の看護師さんと一緒に…