南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集‐51

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【異なる性格の者には異なる業処を】 一人ひとりの衆生の性格は異なる。 故に、適合する業処も異なる。 禅修行者に、安般念だけを、教えるのはよくない。 ある種の人々は、貪心が重い。 私の父親、私の母親、私…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-50(58/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> もし、仏陀の慈悲が、これほどに偉大である事を知ったならば、(+あなた方は)感動して、一時でも早く、一切の煩悩から解脱しようと、思うに違いない。 仏陀の功徳は無量であり、語り尽くせない。 仏陀の慈悲は…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-49

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀は29歳で出家修行、苦行を6年間修行した後、35歳の時に、仏陀に成った。 仏陀は、五比丘に説法をする前、先に、過去の諸仏が、何を開示したのか、を観察した。 ・・・《転法輪経》であった。 故に仏陀は、彼…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-48

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【仏陀の智慧と慈悲】 仏陀の四道心は、一切智智と相応する所の、四道心である。 「一切智智」の意味は: すべての法門を知っている智慧を言う。 例えば、どの様な人間であっても、仏陀の前に立てば、仏陀は、彼…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-47

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上の事から、一人ひとりは、観禅 vipassana を修しなければならない音が分かる。 しかし、定力がない者は、それを修することができない。 というのも、《定經》において、仏陀は以下の様に述べている: 「定力が…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-46

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 例えば、12処: 眼処と色処によって生じた眼門心路過程、眼処は色法で、色処もたま色法である。二者によって生起した眼門心路過程は名法であり、合わせると、名色法になる。 18界: 眼界は眼浄色であり、色界は色…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-45(53 /82 )

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 【安般念の四つの段階及び 禅相に融入する方法】(上) アメリカ菩提学会2018年11月4日(三) 仏陀は、《大念処経》の中において、いわゆる「正定」について述べている: 初禅には五禅支(尋・伺・喜・楽・一境性…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-44(50/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【定の種類と分類法】 二種類の定:近行定、安止定。 三種類の定:近行定、色界定、無色界定。 10種類の定: 初禅、二禅、三禅、四禅、四種類の色界定; 空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処、四種類の…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-43

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 未来世もまた、調べなければならない。 幾人かの禅修行者(華人)は、この一世で、阿羅漢になるために、彼らには、未来世がない; 幾人かの禅修行者は、未来世において、欲天界天眼色界天に生まれる。 師父が、そ…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-42

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲「滅」には二種類ある: 有生滅法と、無生滅法である。 例えば、我々がものを見る時、「眼門心路過程」が生じる; 「眼門心路過程」が生じる時、耳門心路過程は生じない。 というのも、一個の心刹那において、一…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-41

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 外にあるもの、すなわち、他人を観察しても、結局は、不断に輪廻している名色法に過ぎないのだ(+という事が分かる)。 それなのに、却って絶え間なく執着して、禅の修行に行くなどと、考えた事もない。 この様…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-40(40/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> すべての大衆(=有情)を、同時に対象として取る。 同時に、彼ら(彼女ら)の意門に入り、直接彼らの過去世において、彼らの「五蘊法」「12処」「18界」を確認し、その後に、現在に戻り、その後に、彼らの未来世…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-39

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> これらは 観禅 vipassana の内容である。 あなた方は、これらが、己自身の遠くにあって、自分と関係がない、と思ってはならない。 というのも、これらは、我々が絶対に理解しなればならない修法であり、必ず歩ま…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-38

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「意門転向」または「速行」の識(第一速行心、第二速行心~第七速行心)によって ・・・一刹那毎は、みな識(心)をもって心王となし、その他の相応する名法を心所として、名法の生・滅、無常・苦・無我を練習す…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-37

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【名法の修法】 16観智の一番目の段階は「名色分別智」であるが、これを修行しない、という選択肢は、ない。 もし、観禅 vipassana を修習したいのであれば、必ず「名色分別智」を修習しなければならない。 『名…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-36

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲色法の生・滅、無常・苦・無我の修法 四大(+の修習)に成功した後、あなたは何の目標を見ても、一塊、一遍の色聚に見えるであろう。 己自身の愛する息子、娘を見る時、彼らは、色聚に変化してしまう。 もはや…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-35

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲例えば、安般念の修習をするとき、呼吸を知る訳であるが、この呼吸とは、ただの「心生音9法聚」に過ぎない。 安般念が成功した時、禅相が出現するが、この禅相は「心生時節生色」に過ぎない。 四大に注意を払う…

本雅難陀禅アメリカ法話第一集-34

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この女性禅修行者の疑問は: 「自分が確認した、この一粒の色聚の色彩は、それ本来の色彩であって、それが眼門において、発光しただけではないのか?」 というものであった。 師父は問うた: 「あなたは、幾粒の…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-33

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲瞳孔の所で「四大に対して注意を払った」後、透明色聚の一つを取ったなら(=透明色聚見つけたならば、の意)、急ぎ、色聚の中の、以下のものを確認する: 地=硬い、粗い、重い、柔らかい、滑らか、軽いの、6個…

般若の独り言~翻訳の速度,<菩提樹文庫>&瞑想会

本雅難陀尊者の小冊子「本雅難陀尊者シリーズ1~3」の翻訳終了後、「本雅難陀禅師アメリカ法話第一集」を、毎日、非常な速度で翻訳しています。 「え~~っ、速すぎるよ!」 とお嘆きの方、申し訳ないです。 ご自分のペースで、ゆっくりご閲覧下さい。 実は、…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-32

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【色法の修法】 師父は、マレーシアで、リトリートを指導した時、ある一人の女性禅修行者を、指導した。 その人は、すでに十遍八定の修習を済ませたので、四大の修習をした所、身体は色聚に変化し、「色法」の段…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-31(30 /82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 本日は、元々は、「安般念」について話をしたかったのだが、その前に、修行の方法について、理解を深めて貰いたいと思う(+ので、色々と説明した)。 ただ馬鹿みたいに、呼吸を知るだけ、ではいけない。 修行に…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-30

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 先ほど述べた「意門転向」または「五門転向」は受であり、すべて「捨受」である。 「悦受」または「憂受」を生起せしめるのは「意門転向心」の後の「速行心」である。 例えば、人がここに座って開示を聞いている…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-29(28/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 次に「聞く」であるが、「聞く」は、「耳門心路過程」である。 先ほど、師父が開示をしている時、みなさんは、分かった様な、分からない様な・・・。 これは「一心は二個の所縁を取らない」、が原因である: 何か…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-28

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここにいる、あなた方を例にしましょう。 あなた方は、あなた方の目の前にいる師父を見ていて、同時に師父の開示を聞いている。 この時、あなた方の色所縁は、師父を見ることであり、「ああ~師父だ」(+と思う…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-27

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【色蘊への認識】 仏陀は『中部』の《五蘊経》の中において、以下の様に解説する: 色蘊には、過去の色蘊、現在の、未来の、内在するもの、外に在るもの、粗いもの、微細なもの、優れているもの、劣っているもの…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-26

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲女性として結生するには、いくつかの条件が必要である: 貪心が大きく、慢心が重く、嫉妬心も重い。 (+リトリートに参加している)貴女方は含みません。貴女方は、布施し、持戒し、禅の修行もしている為、これ…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-25

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 生老病死以外に、「怨憎会苦」がある。 好きではない人と、なぜか一緒にいなければならず、それは例えば、同居している嫁と姑の様である。 お互いに、嫌い合っているのは明らかなのに、表面では、仲良しである様…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-24

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 師父は老いるし、あなた方も老いる。 老いる事は苦であるか、苦でないか? 老いは、勿論、苦である。 ここが痛い、あそこが痛い。 身体が老いると、何か、良いことがあるだろうか? ゴミ箱は、まだゴミを放り込む…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-23

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《転法輪経》の中で、仏陀は五比丘に訊ねる。 苦聖諦とは何か? 仏陀は、説法が上手である。 先に質問し、その後で説明する。 仏陀は開示する: 生まれるのは、苦である。 結生した後から即刻、苦しみが始まる。 …