Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

翻訳『禅修指南』(3-6)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> その内の音声は、異なる色聚の中の地界がお互いに衝突する時に生じる音であり、それはすなわち、呼吸の音である。 もし、あなたが、この 9種類の色法を系統的に識別する事ができるならば、あなたは、それらの生・…

翻訳『禅修指南』(3-5)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 概念は、観禅を修習する時の法(dhamma)ではない。 唯一、究極法(注6)(paramattha)だけが、観禅の目標 (所縁)となるのである。 結生心を除いて、心所依処(hadaya vatthu)によって生起した心は、みな、入…

翻訳『禅修指南』(3-4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《清浄道論》(Visuddhimagga)では以下の様に言う。 修習を開始する段階において、一つの重要な項目を、遵守しなければならない、それはすなわち: na lakkhaṇato paccavekkhitabbaṁ ーー「相を観察してはならな…

般若の独り言~翻訳の速度

『禅修指南』の翻訳を始めて、3週間ほどになりました。 これまでの翻訳より速度がゆっくり目です。 520頁の大部ですし、これを早く済ませて、他に翻訳したいと思う本がないので・・・(法聚論など、中国語のアビダンマ七論が手に入れば、翻訳したいですが)…

翻訳『禅修指南』(3-3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《安般念 (=出入息念、アーナパーナサティ)》 ここにおいて、第一番目の方法、すなわち、安般念を入門とする、禅修の方法を、解説する。 仏陀は《大念処経》(Mahāsatipaṭṭhāna Sutta)の中において、如何にし…

翻訳『禅修指南』(3-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 白遍第四禅の親依止力(upanissaya satti、近依止力)を擁しているため、また、観智がすでにその定力を更に安定化させているため、(+修行者は)非常に簡単に、一回、または二回の座禅・瞑想の時間の内に、安般…

四界分別観修習への警告!!!

本日、本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)の著書 『禅修指南』を翻訳していました所、第二章のトップ(No3-1)に、四界分別観に関する説明がありました。 これより先、当該書籍において、四界分別観の修行方法の説明が続くかと思われますが、読者の皆様は、…

翻訳『禅修指南』(3-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第二章:安般念から色、無色界禅まで 《二種類の入門法》 パオ森林僧院の禅修行者は、安般念または、四界分別観(訳者注)を入門の修行法とする事ができる。 後者について言えば、四界分別観の修習を通して定力を…

翻訳『禅修指南』(2-15)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> どの様な時、場合であっても、光明が出現さえすれば、それは生滅智の段階に到達したのだ、と言えるのであろうか? その様には言えない。 唯一生滅智の時にのみ光明がある、という言い方は、正確ではない。 その他…

翻訳『禅修指南』(2-14)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《大疏鈔》は、この件に関する結論を、以下の様に言う: Dibba cakkhulābhino viya taṁ monoviññāṇa、viññeyyamevāti vuttaṁ viya dissatīti. ーー「まさに、天眼を得た者の様に、彼は意識でもって、種々の(外部…

翻訳『禅修指南』(2-13)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (5/520) Taṁ tasseva paññāyati: 「行者の慧のみが、それ(光明)を(見ることができる)。」 この種の光明は、唯一、行者の智慧によってのみ、見ることができ、その他の人々は、見ることができない。 例えば…

翻訳『禅修指南』(2-12)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> また、疏鈔は、心生色と時節生色の、二者の光明の強度を、比較する: Tattha vipassanācittasamuṭṭhitaṁ yogino sarīratthameva pabhassaraṁ hutvā tiṭṭhati、itaraṁ sarīraṁ muñcitvā ñāṇānubhāvānurūpaṁ samant…

翻訳『禅修指南』(2-11)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> また、もう一点: 例えば、この講堂には、電燈がついていて、それによって、(+講堂の内部が)照らされているとする。 これらの電燈が点灯している時、その光は、講堂の中にある、色々なものに反射される。 同様…

翻訳『禅修指南』(2-10)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 例えば:我々は、ソファーがすごく鳴り響く、という言い方をする事がある(これは、ある種の人々が荒々しく座るために、ソファーが騒音を立てる時、緬甸人が用いる隠喩である。) ソファーは、本当に荒々しく、鳴…

翻訳『禅修指南』(2-9)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> これらの解説において、「観智の光」とは、以下の様であると言う: (一)観禅心によって造られた、心生色聚の色彩界の光明; (二)心生色聚の火界によって造られる、時節生色聚の色彩界における光明。 止禅心に…

翻訳『禅修指南』(2-8)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1、名色によって構成されている所の、すべての有情は、その結生心を除いて、心所依処に依存して生起する、一つひとつの心は、みな、心生色を製造する能力を、擁している。 これら心生色は、生起して後、心生色聚…

翻訳『禅修指南』(2-7)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 彼は以下の様に誤解する: 「以前、この種の光明が生起した事はない。私は道と果を証得したに違いない。」 彼は非道を道として執着し、非果を果として執着して、その結果、正道から乖離する。この種の光明が、人…

般若の独り言~二人の息子

私には、息子が二人います。 長男は 40代後半で、性格は大人し目、今は結婚して一児の父。 夫婦仲は良さそうなので、今の所、彼と彼の家庭に関して、何らの心配もしていません。 次男は 40代前半。 自分の好きな事を最後まで極めたいタイプ(念願成就の為な…

翻訳『禅修指南』(2-6)

<daṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> もし、この様であるならば、以下の様な質問を、発する人がいる: 止禅心と観禅心の二者に光がある、というのであれば、なぜ、また特別に、観禅随煩悩の光を、光明であると、強調するのか? その理由は、修行を始め…

般若の独り言~rūpakalāpaを見るまでは(5)

正月の休みに、我が精舎に帰省して来ている、次男との会話。 次男「2月に、ブータンに、行ってくるよ」 母「え!いいなぁ。でも、ブータンは、旅行者から入国税など色々取るので、物入りでしょ?」 次「いや、仕事なんだ。大学の調査隊の一員として行くので…

般若の独り言~嫉を離れて

去年よく聞いた言葉に<嫉妬心>というのがあります。 人間にはみな嫉妬心があります。 何時の頃からか、人間が集団生活を始め、そして彼我のレベルを比べる時、「私の方が上」「否、下だ」と一喜一憂するのは、本能みたいなものかもしれません。 でも、この…

般若の独り言~零の年

私は、 5 と 0 のつく年齢の時に、大きな転機に見舞われる事が、多いです。 例えば、初発心は 5 歳の時、「大きくなったら緬甸に行く」と決心したのは、10歳の時。 15 の時に、禅宗で出家しようとし(未遂)、 パオ・セヤドーの『智慧の光』一書に出会い、…

般若の独り言~智慧はあなたの内にある

新年あけましておめでとうございます 2019年、今年は、どの様な年になりますでしょうか? まずは、人災も自然災害もない、また戦争もない、平和な日々であって欲しいと思います。 テーラワーダに集う仏教徒としては、アビダンマの理論を学び、安般念(出入息…