Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2016-01-01から1年間の記事一覧

是誰庵のひとやすみ~ビルマ語の勉強

私がテーラヴァーダ(南伝仏教)の勉強のためにタイに行き始めたのは、35年前(30歳過ぎた頃から行っていたわけですね)。 その後、修行の場を緬甸(=ビルマ・ミャンマー)に移したのは、17年前。 タイ語は、耳で聞いて覚えて、生活や旅行に必要な最低限の…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)2-1

仏教と聞くと、多くの人々は連想する: お寺に行って観光しよう; 大きな線香の周りを巡ると、財産が増えるし、昇進も早いらしい; お寺に行って、線香をあげ、燈明を寄進すれば、幸福と智慧がやってくるらしい; お経をムニャムニャ、お布施を少々、さすれ…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)1-5

仏陀の教えは、広くて深い。 本書は、管窺蠡測(=竹の管から天を覗き、貝のひしゃくで海水を量る、の意)であって、(+元々、仏法は)二言三言で、説明できることではない。 しかし、筆者は、この本が読者の方々に、抛磚引玉(=瓦を投げて宝玉を得る、の…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~3-4

世尊はこのように話すと、五比丘は世尊の話に、歓喜し、喜んだ。 世尊の開示が終わると、コンダンニャの心中に清浄で汚れのない法眼が生まれ、そして彼は見た: 一切の、生起する本質を有する法(=現象)は、必ず滅する、という事を。 世尊がこのように法輪…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~3-3

次に、比丘たちよ。 私が『これは苦の滅に至る道聖諦である』と思惟する時、以前に聞いたことのなかったこの法に関して、私の心中に眼が生じ(cakkhuṁ udapādi)、智が生じ(ñāṇaṁ udapādi)、慧が生じ(paññā udapādi)、明が生じ(vijjā udapādi)、光が生…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~3-2

比丘たちよ。 私が『これは苦聖諦である』と思惟する時、以前に聞いたことのなかったこの法に関して、私の心中に眼が生じ(cakkhuṁ udapādi)、智が生じ(ñāṇaṁ udapādi)、慧が生じ(paññā udapādi)、明が生じ(vijjā udapādi)、光が生じた(āloko udapād…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~3-1

<転法輪経経文> 私はこのように聞きました。 ある時、世尊がバラナシ付近の、仙人墜処の鹿野苑においでの時、世尊は、五比丘に言いました: 「比丘たちよ。二種類の行為は、出家者が従事してはならないものである。どの二種類であるか? 一種類は、感官の…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)1-4

この本は、二部に分かれている。 前半は<「南伝仏教キホンのキ」>と銘打っているもので、<煩悩>を主題にして、生命、煩悩につてい説明し、また、煩悩を取り除く方法を解説し、これを通して、読者に真正の仏教とは何であるか、の理解の手助けとする。 そ…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)1-3

仏教は、西漢末期から中国漢地に伝来し、伝来してから2000年の歴史がある。仏教はすでに、中国の伝統的な文化の、分ける事のできない、重要な一部分となっている。 しかしながら、中国人の中で、どれほどの人が、仏教とは何かを、説明できるだろうか? どれ…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-13

立ってする修行と、座ってする修行は、基本的には、あまり変わりがなく、双方とも、リラックスして快適である状態で、息を覚知する。 行禅(=歩く瞑想)の時は、まず、経行道(=歩く瞑想に使われる道)の起点に立ち、目を閉じ、息を覚知する。心が静かにな…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-12

定力が相当程度の進展を見せたとき、禅の修行者は、往々にして、各種各様の光明を経験することになるが、場合によっては、己の定力が光明に干渉されているように感じる事もある。 これらの光明は、定の修行をしている過程に生じる自然現象であり、それらに構…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)1-2

上座部仏教によると; 仏陀は千変万化、求めれば必ず応じてくれる神、ではなく、また、どこにでもいて、できない事は何一つとてないという、そのような救世主でもない。 仏陀は、一人の、智慧と徳行が円満な覚悟者(=覚醒者、悟りを得た人)であって、煩悩…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)1-1

<序文> これは、南伝上座部仏教の伝統的観点から編集した仏教の入門書である。 上座部仏教は、パーリ語でTheravādaという。 それは仏教の中で、最も古老の流派で、仏教の発祥地であるインドから南に向かってスリランカ、緬甸(=ビルマ・ミャンマー、以下…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-11

7覚支は、どのようにしてバランスするのか? 7覚支は、お互いに対立する二つのグループに分けることができる: 択法、精進、喜という3覚支が、一つ目のグループで、 軽安、定、捨という3覚支が、もう一つのグループである: そして、念が、その真ん中にあっ…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-10

どの法門を修行するにしても、五根と7覚支のバランスは大切である。 安般念を修行する時も、当然、例外ではない。 五根の中で、信根と慧根はバランスしなければならず、精進根と定根は、バランスしなければならない。念根は、その真ん中にあって、それらを調…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-9

決して、わざと呼吸を変化させるようなことをしてはならないし、呼吸をはっきりさせようと企ててもいけない! そのようにすると、あなたの定力は減退し、その結果、深くて厚い定力を育成するチャンスを逃してしまうと同時に、身体に不快感を齎すことになる。…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-8

ある時には、息は非常に微弱になる。禅の修行者は、(+この時)息が察知できない、と思う。 実際は、息は依然として存在しており、停止している訳ではない。 ただ、心に細やかさがない事と、正念がはっきりしない為に、息を察知できないでいるだけである。 …

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-7

禅の修行者が、自分自身の専注力が強くてかつ安定していると感じたならば、己自身に、不断に息に覚知するように精進する(+様に言い聞かせる)。 すなわち、同じ場所において、一回ごとの呼吸の最初から最後までを覚知するのだ、と決心するのである。 これ…

是誰庵のひとやすみ~焼き芋ウフフ

昨日、今年初めて、薪ストーブを焚きました。 今日は曇天で、すこし暖かいので、薪ストーブは焚かない事にしました。 で、昨日の燃え残りを調べてみると、 熾きがあって、灰が温かい。 これは、もう絶対、焼き芋!! 早速、サツマイモを二個、灰の中に・・・…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-6

息を覚知する時、単純に、息自体を察知する必要がある。 という事は、全体的な概念でそれを認識するべきであって、息に含まれる個別の特徴、たとえば、息の冷たさ、熱さ、硬さ、軟らかさ、推進性、湿気、滑らかさ等々に、注意を払ってはならないのである。 …

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-5

上記のように、正念の保持に努め、常々、ひと時でも息に安んじる事のできる人は、引き続きそのように正念を保持し続け、正念を持続する時間を、一分から二分、次には5分、10分、半時間乃至一時間以上、徐々に伸ばしていけばよい。 依然として妄想が紛々とし…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法眼」(翻訳文)~2-4

禅の修行者は、まるで傍観者の如くに、息の自然な様を、静かに鑑賞するだけでよく、それに干渉してはならない。 息は、時には粗く、時には細く、時には長く、時には短く、時には各種の異なる状態を呈する。 これらは皆、自然な現象である。 修行者は、ただ正…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-3

次に、心をリラックスさせて、自分が座禅・瞑想しているのだという気持ちを、持たないようにする。そして、自分は、心と身体を休息させているのだ、と思うようにする。 一時的に、一切の負担を下に降ろし、心の中の一切の心配事を、一時的に放り出し、紛々と…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-2

《清浄道論》は記述する: 「すべての仏、ある種のパーチェカ仏と声聞弟子にとって、成就を獲得するか、または今ここにおける楽住のための法門の中で、安般念は最も重要である。」 (+私が)これらの話を引用するのは、みなさんにこの法門への信頼と確信を…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~2-1

上座部仏法(Theravāda)によると、禅の修行の法門は、大きく分けて二種類になる。 それは、止禅と観禅である。 止禅は、定力を育成する修行方法で、観禅は、智慧を育成する修行方法である。 この二種類の法門における相互の関係は、非常に密接であるーー止…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~1-6

<穴の開いた軛> 「比丘たちよ。もし、この大地が、大きな水池になるとして、そして、ある人が、真ん中に穴の開いた軛を、そこへ投げ入れたとする。 東風が吹いて、それは西へと向かい、西風が吹いて、それは東へと向かう;北風が吹いて、それは南へと向か…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~1-5

心と身の苦受を、内受と言う。 というのも、それらの自性・名称は、苦痛(+と関係があるから。原文、意味不明の為、試訳)。 この三種類の受は、異なる名称を持っているが、それらは皆、苦である。 というのも:「無常なるものは、すなわち、苦である」と言…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~1-4

もしも、禅の修行者が、世間聖道、すなわち観智であるが、それを育成し、それが熟した時、観智の末端において、涅槃を知見する出世間聖道が生起する。 出世間八聖道分を証悟するとき、それらは、諸々の煩悩を、徐々に、余すところなく尽滅する。 観智を育成…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~1-3

これらの話から鑑みて、比丘が長期に亘る生死輪廻から解脱したいと考えるならば、彼は、四聖諦を徹底的に知るよう、尽力しなければならない(+事が分かる)。 今回の(+台湾における)リトリートにおいて、私は、《転法輪経》及び、その他の経典に基づいて…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~1-2

「比丘たちよ。あれら沙門または婆羅門は 『これは苦である』という事を如実に知る事がない; 『これが苦の集である』という事を如実に知る事がない; 『これが苦の滅である』という事を如実に知る事がない; 『これが苦の滅に導く道である』という事を如実…