Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」 4-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「虚妄語(musāvāda)」--「虚妄」とは: 語または身の努力によって、欺瞞に尽力するか、または利益を破壊する者をいう。 欺瞞の目的をもって、身門、語門の中の一門を運用して、邪思(心)によって身・語の努…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「不与取(adhinnādāna)」ーー「不与」: 他人が所有している(+がしかし)、他人である所の(所有者が)、随時に使用する事を欲する(=許可する)ならば、処罰には当たらず、無罪となる。 当該の、他人が所有…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」 4-9(90/230)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (前五学処の解説) これまで述べられてきた所の、以下の文言について: 「この時、前五(学処)をば、差別(=差異)と義理(=意味内容)から解説する、殺生から・・・略・・・離から、果から、(+などと言う…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「学」は三学であるーーすなわち、増上戒学、増上心学(=増上定学)、増上慧学である。 しかしながら、ここにおける義は: 「(いわゆる)学とは、すでに離に到達した所の戒、世間vipassana、色・無色ジャーナ、…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」 4-7(90/230)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 義(=意味、内容)の上では、「離」は、欲界善心に相応する離、である。 《分別論》では以下のように言う: 「殺生から離するとき、そのとき、彼は、遠離しており、離しており、殺生を回避しており、所作がなく…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」 4‐6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「学(sikkhā)」は、学ぶべき、という意味を持つ; 「処(padaṃ・足)」は、これを経路、足がかりとするべし、という意味を持つ。 <学の処>で「学処」となり、すなわち、<学に到達する方法>という意味になる…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2‐20

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> Natthi dānaphalaṃ devo avaso devo vīriyo Bālehi dānaṃ pauuattam paṇḍitehi paṭicchitaṃ 「いわゆる布施の功徳利益、及び果報というものは、ない。 いかなる精進も、利益を得る事は、ない。 布施は、なんらか…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-19

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> Samatuly āni bhūtāni ntthi je ṭh āpac āyikā Natthi balam vīriyaṃ vā kuto uṭh ānaporisaṃ(全体ママ) 「すべての地・水・火・風等の四大は、みな平等である。信徒たちの地・水・火・風と、大師の地・水・火・…

般若の独り言~終わりの始まり

一番最初、日本に、緬甸(ミャンマー)の瞑想方法が入って来たのは、何時頃の事でしょうか? 書店に『緬甸の瞑想』という本が並んだ時、真っ先に買って読みましたが、確か40年くらい前の事だった、と思います。 それは、自分の身体と心に生起する<感覚><…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-18

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ウクナ外道の法 Natthi dhammacaritassa phalaṃ kaly āna pā pakaṃ Natthi deva paro loko ko tato hi idh āgato(ママ) 「大王、学ぶべき、善法とか悪法とかは、ありません。 前生の業が、今生に影響するなどと…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-17

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> マハーナーラタ伝 一人の、名を英加帝という、よい国王がいた。 国王には一人娘がいたが、名をルチャーと言った。 ルチャーは、非常に美しい王女で、アーナンダの過去生であった。 国王は王女を可愛がり、よく花…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-16

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 已作業(kaṭattākaṃママ) その他の業の果報が、現に生じていない時、已作業はようやく、果報を生じせしめる。 上述の三種類の業があるとしたならば、この三種類が優先される。 已作業は、業を造(ナ)すその時に…

般若の独り言~ソータパナ(預流果聖者)とは何か

世間には、ひとたびソータパナ(預流果聖者)になったならば、どのような悪業を造(ナ)しても、業報を受ける事無く、悪趣に落ちないと豪語する人がいます(最近も日本に、そう豪語する人間がいるという事を、仄聞しました)。 では、ソータパナとは何か? …

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-15

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 慣行業(āciṇṇakaṃママ) ある種の業は、臨死業ではなく、普段において薫習されたものである。 不善業で言えば、ある種の人々は、普段、不善なる行為を実行する。 それはたとえば:喧嘩、殺人、偸盗、放火などで…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (共通するものに関する説明) 文中の、 「私は離れる学処を受持する (veramaṇīsikkhāpadṃ samādiyāmi)」は、 一切の(学処)に共通する文言であり、故に、(先に)これらの共通する文言について、その義(=意…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (共通と差異の確定) この(10学処)の内、前の二つの(学処)と、第四、第五(の合計四つの学処)は、諸々の近事男と、諸々の沙弥に共通する所の、常戒である。 第七番目と八番目(の学処)を一つに纏めて(+…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ラーフラ(Rāhula)尊者が出家した後(の時に、開示したものである)。 (世尊が)カピラヴァッツ(Kapilavatthu)から、サーヴァッティに来た時、諸々の沙弥(sāmaṇera)に対して、学処(=学ぶべき事柄)を確立…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 臨死業(=臨終業) (āsannakaṃママ) 臨死業は、臨終の時に造(ナ)される業でる。 たとえば、二人の敵がいて、双方共に瞋恚の心を持って戦い、武器でもって、相手を打ち倒したならば、この行為を臨死業と言う…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 重業(garukakaṃママ) 重業とは、非常に大きな業の事である。 善業の場合で言えば、たとえば、禅定を得た所の・・・今生において禅定を得た人の、その次の生は、絶対に善なるものであり、それは、梵天に生まれ変…

般若の独り言~ごぼうのチェロス

最近、お堅い仏教書の翻訳が続きます。 特に《基礎発趣論(業縁と果報縁)》は、業(己の心のくせ)と、それが齎す果報についての関係性の解説で、 う~~ん、生きるのが、ちょっと怖い・・・^^;。 とは言うものの、善人も悪人も、一日三食、何か食べなけれ…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「これらは、誰によって、どこで、いつ、なぜ説かれたのか、 言った、確定された、共通する部分、または共通しない部分、 自性の罪、制定の罪を挙げる、 当該の確定を行った後、共通する文言と意味に基づいて、 …

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 五個(2~6)の速行心の果報の状態 第二番目から第六番目の、真ん中の速行心の(+その速度は)、急でもないし、ゆっくりでもない。 この、中間の五個の速行心における、善または不善なる業は、いまだ涅槃を証…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 七番目の速行心果報の状態 最も力の強い七番目の速行心によって生じる果報は、もう一つの一期の生命を生起させるに十分足りる(+力をもっていて、)・・・天人に生まれることも、人に生まれることもできる。 一…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一番目の速行心の果報の状態 一番目の速行心は、力が非常に弱い為、その果報は、現前の、この一生においてのみ、現起(現象)する。 もし、果報が、この一生において現起(現象)しないのであれば、それは、無効…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二、《小誦経》の註釈ーー10学処の説明 《小誦経》ーー(Khuddhaka-pāṭha) 《闡明勝義》(《小誦経》の註釈書) 1、私は、殺生を離れる学処を受持します。 2、私は、不与取を離れる学処を受持します。 3、私…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「雑穢語(samphappalāpa)」--これは、不善の思でもって、身と口において加行を生起せしめ、意味のない表現をするものを言う。 おこなわれた(雑穢語)が比較的遅鈍【軽い】である場合、小罪となる: それが比…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-9(80/230)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「離間語」等について: 話しているその内容のすべてが、己自身を喜ばすものであって、他人(の喜び)とは空(無関係、無所有)である時、これを「離間語」という。 己自身、または他人(+に対して)粗悪な言葉…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この時に破壊された利益が小さい時、小罪となる; (破壊された利益が)大きい時、大罪となる。 または、たとえば、在家者が、己の所有物を布施したくないと思う時に、「(私は)ない」と言う時などは、小罪であ…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 現生受業(=今の生で業を受ける事)の状況、それはちょうど、シャーリプトラとマハーカッサバ尊者の(+実践した様子が知られる)ように、彼らは托鉢の前に、先に滅尽定に入り、出定した後、本日、機縁の熟する…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 礼賛 Vipākapaccayo atthi iti bodhentaṃ vandāmi 果報縁: 清凉で、安定していて、無熱で、無悩で、諸法を安定させる事の出来る、果報縁。 その中に衆生はなく、補特伽羅は無く、非我・非他であり、純粋に法性に…