Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

般若の独り言~カレーの中のスプーン

生前、アーチャン・チャーは、この様に言っていました。 「あなたがたは、カレーの鍋の中にあるスプーンの様だ。せっかくカレーの中にあるのに、カレーの味を知らないでいる」 これは、何を意味しているのでしょうか? 我々は毎日、法(真理)の中で暮らして…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-36)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> まさに仏陀が《蘊相応・定經》(Samādhi Sutta)において、非常にはっきりと、強調している様に: ”比丘たちよ。 定の修習をするべきである(samādhṃ、bhikkhave、bhāvetha!) 比丘たちよ。 定力のある比丘は、…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-37)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 観(法随観ーー五取蘊) 故に、仏陀は《大念処経・法随観》の中において、この種の観智を教え、教導した。 【次に、比丘たちよ。 比丘は五取蘊に対して、法随観法において住する。 比丘たちよ。 比丘は、どの様に…

『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(3-35-c)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”すでに、それらの生、住、滅し去るのを知っている” とは、 依処の把握(vattuṃ pariggaṇhāti)と 所縁の把握(ārammaṇam pariggaṇhāti)” の事である。 以下の様にして、その三つの段階を了知する: ”この様に生…

『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(3-35-b)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《相応部・定經》において、仏陀は、類似した内容の教えを、教導している。 そこにおいては、比丘は、如実にこれらの事柄を知らなければならないと言い、また、仏陀は《増支部・修定經》の中において、以下の様に…

『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(3-35-a)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <注20>《増支部・修定經》(Samādhibhāvanā Sutta)の中においても、類似した教えが登場する。 仏陀は以下の様に述べている: ”比丘たちよ。 この定の修習は、多く修習すれば、諸々の漏の滅尽へと導く事ができ…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-34)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2)一つひとつの名色法が、どの様にして、生起するやいなや、即刻滅し去るのかという事を了知し、照見する事を刹那生滅(khaṇato udayabbayadassanā)を知見すると言う。 それはすなわち、名色法の無常の相(ani…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-33)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1b)名色法の生起を引き起す所の、過去と現在の諸因が停止するのを了知、照見する時、名色法がどの様にして、その生起を停止するのかを、了知、照見するのを、縁滅を知見する(paccayato vayadassana)と言う。 …

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-32)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1a)名色法がどの様にして、過去と現在の諸因に基づいて、持続的に生起するのかを了知し、照見する事を、縁生を知見する、と言う(paccayato udayadassana)。 名色法の過去の因を了知し、照見する事とは、それら…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-31)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 如是諸蘊之生滅(これが諸蘊の生滅である) 仏陀は、禅の修行者は、五蘊を知見する必要があると述べた後、 ”これは色の集、これは色の滅、これは受の集、これは受の滅などとして、知見しなければならない” と言う…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-29)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 観(五蘊及びその生起と滅没) 仏陀は《因相応・縁由經》(Upanisa Sutta)の中で、vipassanā とは、五蘊とその生起、そのと滅没を了知し、照見するものである、と言う: ”比丘たちよ。 私は言う 知者(jānato)…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-30)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 如是諸蘊(これが諸蘊である) (我々は)まず、仏陀は ”如是色(これは色である)” と知る必要がある、と述べた(+事を確認しよう)。 これは、四大種と 24所造色を了知し、照見する事であり、すなわち色業処(…

『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(3-28-b)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> しかし、この過程と極めて相似した部分を解説する《名色経》(Nāmarūpa Sutta)において、仏陀はただ ”名色の下生がある(nāmarūpassa avakkanti hoti)” とだけしか、述べていない。 名色の縁によって六処がある…

スポット翻訳【般若の智慧のなかりせば】(K- 3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (原文P219) 禅修行者: では、七覚支はどうでしょうか? 我々はこれらを検査・点検しなければならないのでは ないですか? 禅師: そうです。 七覚支は、因覚支と果覚支に、分けることができます。 あなたは因…

般若の独り言~よき師に出会う

あなたは、仏教を学ぶにあたり、よき師に出会えていますでしょうか? よき師とは、あなたの心と人格の準備の整った時、あなたの前に現れます。 あなたがよき師と出会えないのならば、あなたの人格の成熟が待たれます。 あなたは善知識、師を試してはいません…

スポット翻訳【般若の智慧のなかりせば】(K-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 禅修行者: 私はいまだ、念明覚と択法の区別ができません。 禅師: この二者は、重複しています。 ただ、前ニ者の明覚だけが、択法に属します。 これは私の、個人的な理解です。 行処明覚について、私はもう少し…

スポット翻訳【般若の智慧のなかりせば】(K-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 禅修行者: 択法と念明覚(sati-sampajañña)は、どの様に異なり ますか?四種類の念明覚について解説して頂けませんか? 禅師: 二者は共に智慧の事です。《念住経》において、念は明覚を伴わなければならない、…

『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(3-28‐a)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <注14>名色(nāmarūpa)という単語は、異なる文脈の中において、異なる意味をもつものである。 縁起の一支としての場合、名色は通常、結生識の縁によって<有>る(同時に生起するもの)ものである、と言われる…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-27)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二種類の業処 五蘊と六処は、仏陀が教えた vipassanā行における、二種類の分類型であり、また四聖諦を如実に証悟する前において、観智を通して観照しなければならない所の、所縁でもある。 その様に言うものの、v…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-26)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここにおいて、仏陀は、比丘が如何にして、第四禅の光を運用して、究極色法、究極名法とその因を了知し、かつ正面するのかを、描写している。 これは、仏陀が諸々の経において(+述べている所の)、vipassanā を…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-25)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <注13> 《清浄道論・神通論》(Abhiññākathā)は、この話を、詳細に、以下の様に、解説している: 住立とは不動の事であり、すなわち、フラフラしない(acale)、不動揺(niriñjaneti)で、五根はその敵対する…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-23)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 止(観の修習における基礎禅) 比丘が止の修習をするという事は、すなわち定蘊(samādhikkhandha)(注11)を育成する事である。 深い定力は、光を生じることができる。 ジャーナは、非常に大きくて明るい、光り…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-24)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 観(身と識) 仏陀は《長部・・沙門果経》の中でもまた、未生怨王に対してこの種の(修行における)順序・順番を解説している。 ”次に、大王よ。 比丘は楽を捨し断じ、苦を捨し断じる。先ほどの喜、憂はすでに滅…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-22)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 止(身随観) 《大念処経》の中で、仏陀は12種類の、止の修習方法を指導している: (1)入出息の随観。 四種類のジャーナを証得することができる。 (2)身体の32の部分の不浄の随観。 初禅を証得することができ…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-21)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <注9>複註の解釈: ”あれら指導しやすい者(veneyyānaṃ)に対して、捨断するべき法(pahātabbadhammesu)に関しては、先に諸蓋の分別(=区別、識別)を説明するべきである。 故に、ここにおいて(vasenettha)…

般若の独り言~インドラの網(銀湖氏とカネミ油症事件)

台湾の中部地方に「原始仏教協会」という組織の事務所があります。 この協会を立ち上げたのは、銀湖氏という男性です。 彼がこの協会を立ち上げた頃、まずはタイに行き、 アーチャン・マンに関する資料を手に入れて、マン大長老の伝記を出版しました(『尊者…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-20)

<daṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 止(法随観――五蓋) 《大念処経・法随観》の部分において、仏陀は更に詳しく、諸蓋を捨離する様に勧めている:(注9) 【比丘たちよ。 ここにおいて、比丘は、五蓋において、法随観法によって住する。 比丘たちよ…

般若の独り言~パオ・メソッドへの誤解

最近また、パオ・メソッドを誤解している人に、出会いました。 彼は言います: 「パオ・メソッドを終了していると言う人でも、心の穢い人はいるじゃないか。がっかりだ」 はい、その通りです。 実は、パオ・セヤドーは「パオ・メソッドの終了」などとは言わ…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-19)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 止(世間の貪、憂を調伏する) 仏陀は《大念処経》の中で、四念処に触れる時、常に、諸蓋を捨離する様に、と話した。 それはすなわち、仏陀が、(+経の中では)比丘は、貪と憂を捨離するべきである、としか述べ…

般若の独り言~身も蓋もない仏教

先日、法友と話しをしていて「仏教って、身も蓋もない 教えよねぇ」と言って、二人で笑ってしまいました。 仏陀は言います: 人生は、苦しいに決まっている。 その原因は、あなたが五蘊の何たるかを知らずに執着するから(無明、五取蘊、結生識等)。 その解…