2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧
【リラックスの方法】 もし、出家者であれば、定の修習の前に、読経、仏像の礼拝、経行、または屈伸運動(=ストレッチ)をしてもよい。 1、読経――丹田(小腹)の力を使う。肺の奥深くから情感を用い、調和のとれた静かな心情で読む。読みながら、経文の意味…
定の修習において、善くて巧みな人は、まず、先に、己の心身を調整して(前行)、心身を定の修習に適応する状態にしてから、正式に、定の修習に取り組む(正行)べきであることを、知っている。 もし、日常的に、常に、定の準備作業に関する訓練を積み重ねて…
定の準備の作業の重点は、気血の滞り、心身の緊張、五蓋の煩悩等、定の修習における心身の障礙を取り除くことにある。 そのことによって、修行者が順調に、正定へと向かうことが出来るし、それは、正式に定を修習するにおいて、その勝敗優劣を決めることにな…
仏陀は、「定の準備」と、入定自在、住定自在、出定自在などとを、並列して述べている。 このことは、定の修習における準備作業の重要性を、存分に示している、と言える。 第一級の修行者にとって、定の準備(前行)は、最も大きなキーポイントであり、最も…
《増支部・六法集・第24経》において、仏陀は定の修習について語った時、以下のように述べた: 比丘は以下の様でなければならないーー 定に入る事において、善くて巧みであり、定に住む事において、善くて巧みであり、定から出ることに、善くて巧みであり、…
第二章 定の進展 行道と通達 ここにおいて、初めて(+目標に)専注する事から、何らかのジャーナが生じる近行定の生起まで、その中間における定の修習の過程を「行道」と言う。近行定から安止定まで、その中間における智慧は「通達」と言う。《清浄道論・第…
ソーナ・コーリヴィーサ長老(Soṇa-Koḷivīsa Thera)は、またの名を、スクマーラ・ソーナ(Sukhumāla-Soṇa)と言い、チャンパー(Campā)の生まれで、父親は牡牛長者(Usabhaseṭṭi)である。 王舎城において、ソーナは、仏陀の説法を聞いて、信心(=確信)…
こういう事から、理論を談じている時、我々は究極的なレベルによって、止禅を論じる事は出来る:が、しかし、実修について語る時は、相対的なレベルで語るのが良い。 というのも、定力の育成は段階的なものであり、純粋の程度は、低いレベルから、徐々に高い…
たとえ話をしよう。 今、私の手元には、一杯の水がある。 相対的なレベルで言うと、私は「私の手元に一杯の水がある」と言える。 しかしながら、究極のレベルで言えば、このコップの中には、ただ純粋に、水だけがあるのではなくて、水の中には、多くのミネラ…
この種の修行方法は、あなたにとって、困難なことかも知れない。というのも、あなたは、四界分別観を修行したことがないから。 しかし、もしあなたが、それを修行したことがあるのならば、問題はない。 注釈では、あなたは、もう一つ別の修行方法を、実践す…
ゴータマ仏陀は、六年の修行の後、インド全土に流通していた婆羅門教(現在のヒンズー教)を否定して、それまで誰も気が付かなかった、ある種ブラックホールみたいな、物質と精神(有情と心と物質)の無常性・苦性・無我性を宣揚しました。 で、「無我」とい…
たとえば、もし、あなたもまた、ヴァッカリ長老のように、仏陀への信心が強すぎる時、あなたは、仏陀の特徴に注目することをやめ、仏陀の究極名色法を観じ、その後に、それらを無常・苦・無我として、観ずるべきである。 これは、諸法の自性を省察する一つの…
ヴァッカリ長老は、元々は、舎衛城にいた婆羅門で、三つのヴェーダに精通していた。 初めて仏陀を見たとき、彼は、長時間、飽きもせず仏陀を見続け、仏陀が行くところへは、どこへでも付いて行った。 更に仏陀に近づこうとして、彼は、出家して比丘になった…
8-6-2-6 五根のバランス これから、私は、安般念似相に専注する時、如何にして五根をバランスさせるのかを、説明する。 諸根のバランスを保持するという事は、信、精進、念、定、慧の五根をバランスするという事である。 もし、禅の修行者が、信の対象に対し…
理論的な(+ことを理解する)智慧は、パーリ語でpariyatti(教理)といい;修行によって直接、見通す(=透視する)智慧は、パーリ語でpaṭipatti(行道)といい;真理を透視するパーリ語は、paṭivedha(通達)という。 慧は、善根の一つであり、その他の四つ…
諸法を如実知見する事は、仏教の目標である。 智慧は、必ずや、何が究極法で、何が究極法でないかを、知ることが出来なければならない。 邪見がある時、我々は諸法を、如実知見することができない。 究極的には、人、動物、また家屋は真実(+の存在)ではな…
8-6-2-5 慧(paññā) アビダンマにおいて、慧(paññā)、智(ñāṇa)と無痴(amoha)という、この三種類は、同義語である。 ある時は、慧は、慧根(paññindriya)と言われる。 慧は、如実に、究極法を知る:心、心所、色法と涅槃を。 ここにおいて、それを根…
大モッガラーナ比丘は、諸々の比丘に告げて言った: 「諸君、私はこの葉毘尼河の川べりで、不動三昧(第四禅)に入った時、群象が河を渡るために流れに入った時に出した声を聴いた。」 比丘たちは、恨みがましく、不満で、憤慨して言った: 「長老大モッガラ…
心が、この種の、微細な体験を処理することに益々上手になれば、中等の精通が得られる。 この時、心が安止定に安住する時間は、徐々に長くなる。 修行者は、徐々に、安止の五種類の基本的な自在を体験するようになる。すなわち、入定自在、住定自在、出定自…
問題五:精通のレベルで分類するならば、定は何種類ありますか? 回答五:三種類である。 「得たばかりの定は下等で、まだ熟練していない定は中等で、非常に熟練し、かつ自在である定は、上等である。」《清浄道論・第三章・第10段》 《清浄道論》では、(+…
目標への専注、という作用を持つ ekaggatā は、通常、一境性または、定と訳される。 一たび「定」と聞くと、我々は、一境性は止禅の中にしかない、と思いがちである。 がしかし、事実はそうではない。 止禅の修習をする時、一境性が進歩を提供する(+という…
三、安止定 安止定の段階においては、心は修行の目標(似相)に融入し、まったく雑念もないし、無理な努力も無用となる。 初めて安止定の境地に入る段階では、この種の境地は、一秒間だけしか持続しないかもしれない。不断の練習を重ねれば、この種の境地が…
二、近行定 それを「近行定」と呼ぶのは、それが止禅に向かう入り口であり、また観禅への入り口でもあるからである。 それが観禅の修行に用いられるとき、伝統的に、それは「刹那定」と呼ばれる。 この段階の特徴、それは、元々の相に専注するかまたは(ある…
(四)先に述べた段階(No1-36)が、更に発展して成熟する時、修行者は、予備定の最高潮に到達する。この段階になると、ある程度の長い時間、自然に目標を覚知することができ、何等の干渉を受けなくなる。 通常、この段階では、(+心の)境地はますます微細…
(三)もし、修行を毎日、継続することができるならば、この平静な覚知・感覚は、ますます強くなり、修行の目標もまた、ますますはっきりとしてくる。 修行者もまた、ますます、修行の目標を覚知できるようになる。 この段階を「修行の目標を自然に覚知する…
(二)修行者の心がますます、<今・ここ>の境地に安住する時、彼は、自然に、ますます多くの心内の平和を経験する。 それがたとえ、心内では、いまだ雑念が生起していたとしても・・・。 この段階を「静かな知覚の段階」と言う。 この静かな知覚(+を知る…
予備定を強化する過程において、修行者は、以下のようないくつかの段階を、経験する: (一)修行者の心が落ち着いてきて、過去と未来の一切の心配事を手放し、純粋に、ただリラックスしている時、彼の心はゆっくりと、ますます静かになり、ますます、<今こ…
定の種類とレベル 問題四:定には、いくつ種類があるか? 回答四:定には、三つの種類がある。 すなわち、予備定(遍作定)、近行定と安止定である。 定を修習する時、煩悩の段階的な浄化に伴い、また定力の徐々なる発展に従って、修行者は、三種類の定のレ…
8-6-2-4 定あるいは一境性 定(samādhi)あるいは一境性(ekaggatā)とは、もう一つ別の心所(cetasika)であり、それは必ずや、一つ毎の心(citta)と同時に生起する7つの遍一切心心所の内の一つである。 心の特徴は、目標を認識する事であり、故に、生起した…
春の庭、今、我が家は、百花繚乱。 というのも、去年の年末、<訳ありチューリップ>の球根を100個、お安く買って、植えておいたから、本当に100本が一気に咲いた! 3年前に、瀕死の様相だった鉢植えバラを購入して、庭に植えました。 3年間、鳴かず飛ばずで…