Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-133)(私家版)

もし、修しているのが、空無辺処無色禅であり、かつ、臨終の時になお、その善心(ママ)を維持する事ができるならば、その善心は、直接果報を生じる事ができ、それは、生まれ変わりの時の、一番目の心識になる。 すなわち、空無辺処地に出生し、その結生識は…

般若の独り言~もうすぐ73歳

私の誕生日は、今月中にあって、もうすぐ 73歳になります。 73 なんて、なんだか半端な数字ですが、70 から 75 に、一気に飛ぶわけにもいかず(笑)。 今は、女性は、100歳まで生きる人も出てきていますが、私はどうでしょうか・・・まぁ、なるようにしか、…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-132)(私家版)

空無辺処果報心は、空無辺処善心によって生じる果報であり、欲界では生起しない。 無色界の中の空無辺処地において生起する。 空無辺処地は、無色界の四個の地のひとつであり、空無辺処果報心は、ここにおいて生起して、そこでの、梵天神の結生識となる。 (…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-131)(私家版)

四個の無色界果報心 1、空無辺処果報心 2、識無辺処果報心 3、無所有処果報心 4、非想非非想処果報心 (3-132につづく) <願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-18)(私家版)

僧人は、財や富は少なくても、全くもって、貧困とは言えない。というのも、優秀な品質(=優秀な仁徳)によって、(心が)豊かに満たされているが故に。 バーラナシー王勝敵(Arindama)は、感官の欲楽に脳天を直撃された時、一人のパーチェカ仏が、宮廷の園…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-17)(私家版)

出家の楽は、財と物の減少と共に、増加し、(所有する)物品が増えれば、却って、沙門の快楽(楽しさ)が損なわれる。 彼は、今現在の与えられた物に満足する事を学ばなければならない。この様にして初めて、出家の楽を体験する事ができる。これは僧人にとっ…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-16)(私家版)

もし、出家した後で、この様な享楽(的な)出家者を見て、羨ましく思い、同じ様な享受を受けたいと希望するならば、横道に逸れてしまう。 もし、これらの資具を得られない事でもって、失望して、利益(利養)を追求する方へ努力するならば、この種の僧人もま…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-15)(私家版)

ある種の僧人は、都会に住んで、住むところは、広く、精緻で、装飾は美しく、内部には高級な机、椅子を置いている; 彼らは美食を楽しみ、信徒に礼拝され、出かける時は、高級車に乗り、地位が高く赫赫として、多くの侍者が左右に侍る; またある種の僧人は…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-14)(私家版)

我々の菩薩は、かつて、名を梵授(Brahmadatta)と言う国王であり、バーラーナシー(Bārānasī)を統治していた。 彼は、パーチェカ仏から法を学び、それ以降、感官の欲楽を追い求める事から遠く離れ、部屋で座禅する事に専念した。 その時、愉悦が湧き上がり…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-13)(私家版)

貪欲がどれほど減少したか、出家の楽は、その分だけ増加する。 国王マハーカッピナは、剃髪得度した後、どこへ行っても、常に ”楽しい。楽しい。 楽し過ぎる! 楽し過ぎる!” と感嘆した。 この様な、喜びに満ちた感嘆は、出家する事が、国王である事よりも…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-12)(私家版)

彼らは、煩悩に対して、すでに、軽減しているか、または完全に勝利している。 彼らは、崇高な理念を擁している。 愚かな人は、煩悩に覆われ、たとえ出家したとしても、僧人の楽趣を体験する事はできないし、また、出家の楽とは何であるかを、理解する事も出…

般若の独り言~虹君は破壊王?

虹君(トイプードル。元保護犬。2歳半)が来てから、 4か月。 彼を引き取りに行くと、裸で渡されました。 裸とは、すなわち、首輪も胴輪もしていなかったのです。 もちろん、リードもなし・・・(注1)。 「えっ、初対面のワンちゃん、素で受け取るの?」 …

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-11)(私家版)

世間的な欲楽は、どの様な人々も、体験する事ができる。 動物でさえも(それを体験する事ができる。); そして、”出家の楽” は、誰でもが体験できるとは限らない。 僧人には、充分な智慧が必要である。 そうして初めて、世間の欲楽の背後に、汚染、不浄と苦…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-10)(私家版)

妻子、土地、財産、金銭などの付属品から生じる、貪婪と圧力に関して、すでに貪欲に打ち勝っている僧人は、感官の所縁に執着しないし、また、この類の苦しみを、経験する必要も生じない。 清らかで、悠々長閑な楽しみこそが、”出家の楽” である。 僧人は、慈…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-9)(私家版)

世間的な財産を手に入れた人々は、嫌でも、争奪戦の苦を引き受けなければならない。 また、政治・官僚によって引き起こされる多くの苦悩を見てみよう。 当事者は、死後、他人を鞭打った悪行が原因で、悪趣に生まれ変わる。 世間的な財産を手に入れるのは苦で…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-8)(私家版)

在家の人々は、不本意ながら、各種の不道徳な行為に巻き込まれる事がある。 例えば、嘘をつく事。 たとえ、ある種の人々は、最初、悪行から離れ様とするが、しかし、己自身の財産を奪い取ろうとする人々に対して、突然、怒りが生じ、最後には失速してしまう…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-7)(私家版)

”Gharā nānihamānassa、 Gharā nābhanato nusā、 Gharā nādinnadaṇdassa paresaṃ anikubbato.” ”一人の人間が、財産と富を獲得する為に努力し、 かつ、元からある財産と富を守らないのであれば; 金銭を追究し、財産を維持する為に、嘘をつかない のであれ…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-6)(私家版)

紅塵世間での、すべての所有(物)はみな、苦が付きまとう。 しかし、人々は、この様な所有の為に、狂った様に競争する。 千、万以上の人々が、同じものを所有したいと渇望し、千、万以上の人々が、家を、土地を、田畑を、金銭とその他の私有財産を得たいと…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-5)(私家版)

愛情は永遠ではない。人が年を取り老いる様に、愛情もまた、消え失せる。 時間が経つと、妻の夫への関心も徐々に薄れる。 もし、彼女が、また一人別の、己に見合う男性と出会ったならば、以前の(夫への)愛は、あっという間に消え失せてしまう。そして、彼…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-4)(私家版)

結婚すると、夫は、日夜奮闘して、彼女を養わねばならず、彼女の機嫌を取らねばならない。 収入の多寡によらず、完全には、妻の要求を満たすのは困難であり、彼女は、常に、あれが足りない、これが足りないと不平を零し、どれほど多くの財産を築いても、彼女…

般若の独り言~輪廻

昨日の、私のブログに出てきました、佐々井秀嶺師と (故)ゴエンカ氏、ものの本によると、お二人は昵懇の 仲だそうです。 ゴエンカ氏が、○○記念の講演会を開く時、佐々井師を 招いて、講演してもらうそうです。 ただし、佐々井師は <輪廻ない派>で、 ゴエン…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-3)(私家版)

人類だけが、この様なだけでなく、動物でさえも、世間的な欲楽を享受している。 彼らは人間同様に、世間的欲楽でもって、己自身の要求を満足させる: 次世代を養育し、営巣し、生存の為に、十分な食料を探し求める。 仏法に対して無知な愚かな人は、世間的欲…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-2)(私家版)

在家者の楽しみは、大量の金銭、大きな土地、広くて優雅な邸宅、精緻で美しい家具調度品、速くて快適な車、若くて美しい妻、賢い子ども、お金持ちの友人と親戚、美しい洋服に装飾品、社会的地位と体面を保てる仕事を擁している事であって、これらは、また、…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(7-1)(私家版)

在家の楽と出家の楽 ”Dvemāni、bhikkhave、sukkhāni. Katamāni dve? Gihisukhañca pabbajitasukhañca. Imāni kho、bhikkhave, dve sukhāni. Etadaggam, bhikhave、imesaṃ dvinnaṃ sukhānaṃ yadidaṃ pabbajitasukha ’ ’ nti”(注1) ”比丘たちよ。 二種…

般若の独り言~また独りになります

年末の30日から、こちらに来ていた次男が、昨日、 別府の港から、四国へ、帰って行きました。 本日4日から、仕事だそうです。 我が精舎はあまりに寒くて、次男は震え上がって、 布団にもぐってばかりでしたが(注1)、毎日、 お互いの近況を、語り合いまし…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-130)(私家版)

無色界禅心は、それぞれ、異なる目標を取る。 しかし、それぞれは、みな、同様に、二個の禅支が存在する。 この事は、色界禅とは、異なる部分である。 色界禅は、初禅、二禅、三禅、四禅、五禅であっても、みな、同一の目標を取る。 たとえば、安般念(の目…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-129)(私家版)

非想は、想ではない。 では、どの様な意味であるか? 非想非非想処(n’evasanña’nasanñāyatana)は、ここに想があるとか、または無想であるとか、を言えないが故に、この様に呼ばれる。 この種の心の中において、「想心所」はすでに、非常に微細になっており…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-128)(私家版)

無所有処無色禅から非想非非想処禅に入る為には、無所有処禅心を目標に取る。というのも、「有」は良くないのであって、「有」があれば、痛苦が存在する。 「無い」がもっとも良く、故に、無所有処の心を観ずるのを至上とし、この心をば、至上、至上・・・(…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-127)(私家版)

識無辺処無色禅から、次に、無所有処無色禅に入る為には、空無辺処禅心の不存在を目標としなければならない。 というのも、一個の心識刹那において、二個の心が同時に生起する事は不可能な為、故に、識無辺処善心が生起する時、空無辺処禅心は、存在しえない…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-126)(私家版)

空無辺処禅から、識無辺処禅に入る為には、空無辺処禅心を目標として取り、識無辺、識無辺・・・と黙念しなければならない。 この様にすれば、識無辺処無色禅に証入する事ができる。 識無辺処無色禅もまた、二個の禅支で、それは捨と一境性である。 (3-127…