wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 4、事実上、上記に述べた事は、最も快速で、最も有効な、学習方法である。 これは、ちょうどヤクの容貌を研究しようとする時、本に書かれている文言を読んだり、または、そこに描かれている絵図を見るが、そうし…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-72

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-6 心が策励されるべき時に心を策励する 彼は如何にして、心が策励されるべき時に、心を策励するのか? 心が、智慧の力が弱いために、または安寧の楽を証得することが出来ないがために、倦怠を感じる時、彼は…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2、修行とは、我々が想像しているような、そのような簡単なものではない。 書物はただ単に、一般的な指導方針を提供しているに過ぎない。 一たび、我々が実際に修行を開始すると、非常に多くの、複雑な問題に遭…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 良師の重要性 多くの人々は、彼らの歩むべき、心霊上の修行の道における教師の重要性を、しばしば低く見積もりすぎている。 彼らは、決して、時間と精神及び努力を払って、良き師を探し求めようとは、しない。 彼…

是誰庵のひとやすみ~花鳥風月

子供のころ、日本や中国の禅僧が、ひなびた田舎の陋屋に住んで、花鳥風月を愛で、己の境地を詩文にして認めているのを読んで、ちょっとした反発心を持ち、また、不思議にも思っていました。 それって現実逃避じゃないの?花鳥風月を愛でたって、世の中、ちっ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2、あなたが理解できる方式で止禅に関する 問題を回答する 彼は、あなたが理解できる方式で、止禅に関する問題を回答して、あなたに最も適合する方式で、奥深い教授をすることができる。 上記の事(+を実践する…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1、あなたに適合する特別の修行の道を授与する教授(+内容について) 「修行の道の教授」とは、教師が、あなたの修行が段階を追って進歩するように支援する時に、用いられ言葉である。 修行の指導は、大衆に仏…

是誰庵のひとやすみ~瞬間的存在

昨16日の<是誰庵のひとやすみ>に、「口中有斧」という題で、雑感を書きました。 そこで、ゴータマ仏陀は「『私は侮られた』と怒る者は愚か者である」と言っている、とご紹介しました。 そして、人を侮る人間は、心が病んでいるのだから、相手にする事はな…

是誰庵のひとやすみ~口中有斧

きちんと記録したわけではないので、多少の記憶間違いがあるかもしれませんが、某大臣が「地震、津波の被害が東北でよかった」と失言して、失脚しましたね。 去年は熊本・大分地震があり、先日は福岡・大分豪雨がありました。 すると私に「(首都圏から)わ…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-70

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (三)衆生と物を偏愛する人から遠く離れる: (甲)衆生に対して偏愛する人とは、己の子女など、俗世の家族を非常に愛惜する人をいう。 また、己の弟子、友人、戒師などなどを非常に愛惜する出家者も含む。 この…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> これは非常に重要な点である。 ここで、ただ自ら証悟しただけでは、あなたは、よい教師にはなれない、と言っている事は、すなわち、あなたは、あなたと同じ道を歩む学生しか導けないから、というのがその理由であ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 良い師の資格 よい禅修行の指導者は、どのような資格を具備しておくべきであろうか? 主要な資格は以下の二種類である: (一)彼自身に実体験的な証悟があること 故に、もし漏尽者を得ることができるならば (す…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (一)彼は、親身で、まじめで、尊敬できる人である あなたとこの先生は、非常に強い因と縁がある必要がある(業の繋がり)。 通常、非常に強い業の因と縁の繋がりにより、あなたは、あなたの先生に対して、真心…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-69

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (二)彼は以下のような、二種類の方法を通して、「物に執着しない態度」を策励する: (甲)このような(+考えを)通して、(+己を)所有しない者として、思惟する: 「この袈裟は退色する、古くなる、雑巾に…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-67

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-5-3 捨覚支を生起させる事の出来る五種類の方法 捨覚支を生起させる事の出来る、五種類の方法がある: 1、衆生に対して執着しない態度: 2、物に対して執着しない態度: 3、衆生と物に対して偏愛する人(…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> あなたの(+仏法に関する)基礎が強固になった時、あなたは多くの先生について学んでも、よい。 その時、あなたは、涅槃へ向かうための、多くの道を学ぶことができる。 その後、あなたは自分自身が、真正の、善…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-66

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (七)心がすでに正しい行道(進むべき道)に進んでいて、不軟弱、不動揺、不沮喪であり、かつ、禅の修行が順調に進んでいて、軽安の道に進入している時、当該の心に対して、彼は策励も、抑制もすることなく、ま…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 多くの修行者は、よくこのような質問をする: 「私は多くの先生から学んだ方がよいのか、それとも、ただ一人の先生から学んだ方がいいのか?」 その答えは: 「初心の修行者は、優秀な、一人の先生につくのがよい…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第三章 教師と学生 良い師の特徴 業処を(+決定して)与える善友(良い師)とは: 親切認真可敬者 (親身で、まじめで、尊敬できる人)、 講説温和言語者 (話すときは、言葉が温和な人)、 能做深奥談論者 (奥…

是誰庵のひとやすみ~覓食難(mi・shi・nan)

中国語の仏教書を翻訳していて、よく「覓食難(mi・shi・nan)」という言葉に出くわします。 輪廻から解脱したいと願う理由は、基本的には四聖諦で決まりですが、凡夫としての具体的実感として、この「覓食難」は言いえて妙だと思います。 その直接的な意味は…

是誰庵のひとやすみ~同窓会の写真

先日、6月の中旬、神戸に行ってきました。 小中一貫校の同窓会があったので。 神戸のインターナショナル・スクール(華僑系)の一貫校ですから少人数制で、そのため、三クラスの全員が顔見知り、全員幼馴染み、ということになりますが、実は、もう本当に長い…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-44

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> そして、更に重要な事は、良い教師なら、あなたが最終的に、真正なる定を獲得することができるように、あなたに対して、正しい心構えでもって定の要因(定の修習)を育成するべきであることを、教えるであろう。 …

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-43

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上記の、《増支部》の中の経文と、《清浄道論》の補足から、我々は、以下のような、非常に重要な結論を、得ることができる: (一)定の修習において、最も基本的な要素とは、煩悩のない心であり、その他の基本的…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-65

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここにおいて、(一)と(二)のこの二項目は、以前に説明した解釈によって、理解する。 (三)は、安般念禅相または遍相か、または何かの禅の目標を獲得することに優れている事。 (四)は、精進など等が過剰す…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-42

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 我々が「定の修習において、如何にして更に一歩進んで放下の原則を運用するのか」に関して討論する前に、我々は、先に、定の修習における要素について、話し合ってみたいと思う。 (一)この世間において、一因が…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-41

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 定の修習において如何にして更に一歩進んで放下(=手放す)の法則を運用するのか? 【引証】順生(=流れに沿って正しく生きる)の因と縁を具備すれば、定はすなわち自然に生起するーー《増支部・11法集・第2経…

是誰庵のひとやすみ~無常&無情

昨日、近所の知人から電話があり「明日、大学病院に行かなければならないけれど、一時間に一本しかないバスに合わせていると、受付に遅れてしまう」「あなたのパジェロで送って貰えないでしょうか?」と、遠慮がちに、頼まれました。 この週末は急ぎの用事も…

是誰庵のひとやすみ~燃えろ!ホンマ君

先日、アマ〇ンで注文して、ホンマ君をご購入。 アマゾンは、葬儀や法事に、僧侶を派遣するようになったけど、ホンマ君派遣してもらって、何してもらうの・・・? いえいえ、ホンマ君は、便利屋の青年でなくて、ホンマ〇作所の<レジャーカマド>という、室…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-40

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 4、修行において、我々は、事物を蓄積したりしてはならないし、事物に執着する心を、蓄積してもならない。 そして、事物を放下し、負担(=背負っているもの)を放下するのを喜ぶ心を、育成しなければならない。…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-39

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この点に関して、私は梵種長老(Ajahn Brahmavamso)が著した≪修行の基本的方法≫≪The Basic Method of Meditation≫を、紹介したいと思う。 当該の書物の中で、彼は「放下」の方法について、絶妙な解説をしており…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-38

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> しかしながら、このように修行を進めていったとして、彼らは往々にして、邪定を得ることになってしまう。 彼らが、正しい道を歩んで正定を得る前、彼らはすでに、それなりの時間を費やして、邪定を育成しており、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-37

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 定の修習における最も重要な法則 定の修習における最も重要な法則とは何か? 「聖弟子は、放下(=手放す事)を目標として、心における、一境への専注を得る。」《相応部・根相応・第9経》 上記の経文から、定の…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-64

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-5-2 定覚支を生起させる事の出来る11種類の方法 定覚支を生起させる事の出来る11種類の方法は、以下の通り: 1、依所(=住まい)を清潔にする。 2、五根をバランスする。 3、取相(すなわち、禅の修行の…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-63

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-5-1 軽安を生起させることのできる7種類の方法 これ以外に、軽安を生起させることのできる7種類の方法がある。 1、良い食べ物。 2、心地よい気候の場所に住む。 3、リラックスした姿勢を保つ。 4、中道…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-36

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 少しばかりの覚知(=自覚)があれば、我々は、我々の心内の評論は「私」や「私の」を巡ってグルグル回っていることが分かる。 我々は、己自身について、煩わしさを感じるようになり、この内心のラジオを止めて、…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-62

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここにおいて、上に述べた軽安、定と捨という、この三種類の覚支を育成するに有益な数々の方法に関して、それらはそれぞれの覚支の栄養(または因)であることを、理解しなければならない。 仏陀は言う: 「比丘…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-61

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-5 心がコントロールされるべき時にコントロールされる 人は、どのようにして、その心がコントロールされるべき時にコントロールされるか? 心が、あまりにも強すぎる恐怖心と喜悦で動揺する時、彼は択法、精…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-35

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上記の経文から、我々は定の修習において、脳内に起伏する思いや考えは、粗いものから微細なものへと、変化することが分かる。 最初の段階では、非常に粗い煩悩があり、それらは身業や口業の方面で、表現されるこ…

是誰庵のひとやすみ~オハナ

いよいよ梅雨の到来で、九州は、今日は午後から豪雨になるとの事。 暴風雨であっても、水中運動だけは欠かせませんが、庭を少し見回ったら、後はオウチで静かに蟄居ですか、ね。 写真は、噂の愛犬オハナ君。 オハナは、佐賀の山の中に捨てられていたペキニー…

是誰庵のひとやすみ~会ってきました

インド仏教界の英雄、佐々井秀嶺師が、四国の過疎村土佐町に講演においでになるというので、はるばる大分からフェリーに乗って、土佐町田井の農業改善センター(講演会場)まで、行ってきました。 途中寄り道をしたので、講演会場に到着したのは、開始時間ギ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-34

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> これらを除去した後、彼の心の中には、いまだ中等レベルの雑染がある。たとえば、欲望、憤怒、人(=他人及び自己)を傷つけたいという思いである。 熱心で、有能な比丘は、これらの思いを放棄し、駆逐し、廃止し…

是誰庵のひとやすみ~不動心と正念正知(走り書き)

今朝、IT の記事を読んでいましたら、マインドフルネス、すなわち仏教では、<考えない事>をお勧めしている、というお話が、載っていました。 確かに、私たち現代人は、考えすぎてしまって、かえって身動きが取れなくなる場合が多々あり、脳内のおしゃべり…

是誰庵のひとやすみ~近況ご報告

13日、駅前にある絣織専門店に行ってきました。 尼僧になったので、もう絣を着る事はありませんが、店番している人と雑談してきました。 「仏教って何?」と問われたので: 在俗の人にとっては、仏陀の教えた 38 の幸せ(吉祥経)を参考にして、生きるのがよ…

是誰庵のひとやすみ~唯脳論vs唯識論

6月10日付の<是誰庵のひとやすみ>のお題は、「脳にはNoを」でした。 この修行の理念・根拠は: (1)心は一刹那に一つの仕事しかしない。 (2)心は仕事を終えると、エネルギーを使い果たして、消える。 (3)脳は、情報のストレージ、貯蔵庫であり、人…

是誰庵のひとやすみ~定番のピンク

今年、果物の出来は、あまりよくないらしいです。特に、桃、杏、李などがダメなのだとか。 その代り、花は割と順調で、我が家のバラは、次から次へと花を咲かせ、実生のウツギも、白い花をいっぱい咲かせています。 写真は、バラ~~上段がポニカ、下段はラ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-33

<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> その後に、鍛冶屋または鍛冶屋の弟子は、金粉を溶炉に入れて、それを、冶金し、精練し、鍛錬する。しかし、彼は、それでも金を炉から取り出さない。 というのも、残渣はいまだ完全には取り除かれてはおらず、(…

是誰庵のひとやすみ~脳にはNoを(無常を観る)

知人の友人が、昔の嫌な思い出に翻弄されて、ウツ気味で入院したとの事。 昔のであっても、今のであっても、嫌な想いに翻弄されない、よい解決方法を一つ、紹介します。 我々は、時々、いや、度々、自分が被った、嫌な思い出を思い出します。 実は、我々は、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-32

<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 【引証】粗い煩悩から微細な煩悩への浄化ーー《増支部・三法集・第100経》 「比丘たちよ。金(鉱)の中には粗雑な物質がある。ちょうど泥と砂礫(+の関係)のように。 鍛冶屋、または鍛冶屋の弟子は、先に金を…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-31

<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 浄化の過程 ある種の人々にとって、行道は艱難である。 五蓋等の、敵対する状況の頑強な抵抗の為に、行道は困難になる。《清浄道論・第三章》 人々は、時々、理解できなくなる: ある種の人々にとって、止禅の修…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-30

<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 座禅・瞑想(+を意識的に)終わらせる事、すなわち、収功は、気の滞りを治すよい方法である。 この事は、気功の鍛錬を終わらせようとする人が、収功を、必ず行わなければならないのと同じ道理であるが、双方と…