Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

般若の独り言~終わりの始まり

一番最初、日本に、緬甸(ミャンマー)の瞑想方法が入って来たのは、何時頃の事でしょうか? 書店に『緬甸の瞑想』という本が並んだ時、真っ先に買って読みましたが、確か40年くらい前の事だった、と思います。 それは、自分の身体と心に生起する<感覚><…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-18

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ウクナ外道の法 Natthi dhammacaritassa phalaṃ kaly āna pā pakaṃ Natthi deva paro loko ko tato hi idh āgato(ママ) 「大王、学ぶべき、善法とか悪法とかは、ありません。 前生の業が、今生に影響するなどと…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-17

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> マハーナーラタ伝 一人の、名を英加帝という、よい国王がいた。 国王には一人娘がいたが、名をルチャーと言った。 ルチャーは、非常に美しい王女で、アーナンダの過去生であった。 国王は王女を可愛がり、よく花…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-16

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 已作業(kaṭattākaṃママ) その他の業の果報が、現に生じていない時、已作業はようやく、果報を生じせしめる。 上述の三種類の業があるとしたならば、この三種類が優先される。 已作業は、業を造(ナ)すその時に…

般若の独り言~ソータパナ(預流果聖者)とは何か

世間には、ひとたびソータパナ(預流果聖者)になったならば、どのような悪業を造(ナ)しても、業報を受ける事無く、悪趣に落ちないと豪語する人がいます(最近も日本に、そう豪語する人間がいるという事を、仄聞しました)。 では、ソータパナとは何か? …

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-15

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 慣行業(āciṇṇakaṃママ) ある種の業は、臨死業ではなく、普段において薫習されたものである。 不善業で言えば、ある種の人々は、普段、不善なる行為を実行する。 それはたとえば:喧嘩、殺人、偸盗、放火などで…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (共通するものに関する説明) 文中の、 「私は離れる学処を受持する (veramaṇīsikkhāpadṃ samādiyāmi)」は、 一切の(学処)に共通する文言であり、故に、(先に)これらの共通する文言について、その義(=意…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (共通と差異の確定) この(10学処)の内、前の二つの(学処)と、第四、第五(の合計四つの学処)は、諸々の近事男と、諸々の沙弥に共通する所の、常戒である。 第七番目と八番目(の学処)を一つに纏めて(+…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ラーフラ(Rāhula)尊者が出家した後(の時に、開示したものである)。 (世尊が)カピラヴァッツ(Kapilavatthu)から、サーヴァッティに来た時、諸々の沙弥(sāmaṇera)に対して、学処(=学ぶべき事柄)を確立…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 臨死業(=臨終業) (āsannakaṃママ) 臨死業は、臨終の時に造(ナ)される業でる。 たとえば、二人の敵がいて、双方共に瞋恚の心を持って戦い、武器でもって、相手を打ち倒したならば、この行為を臨死業と言う…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 重業(garukakaṃママ) 重業とは、非常に大きな業の事である。 善業の場合で言えば、たとえば、禅定を得た所の・・・今生において禅定を得た人の、その次の生は、絶対に善なるものであり、それは、梵天に生まれ変…

般若の独り言~ごぼうのチェロス

最近、お堅い仏教書の翻訳が続きます。 特に《基礎発趣論(業縁と果報縁)》は、業(己の心のくせ)と、それが齎す果報についての関係性の解説で、 う~~ん、生きるのが、ちょっと怖い・・・^^;。 とは言うものの、善人も悪人も、一日三食、何か食べなけれ…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「これらは、誰によって、どこで、いつ、なぜ説かれたのか、 言った、確定された、共通する部分、または共通しない部分、 自性の罪、制定の罪を挙げる、 当該の確定を行った後、共通する文言と意味に基づいて、 …

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 五個(2~6)の速行心の果報の状態 第二番目から第六番目の、真ん中の速行心の(+その速度は)、急でもないし、ゆっくりでもない。 この、中間の五個の速行心における、善または不善なる業は、いまだ涅槃を証…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 七番目の速行心果報の状態 最も力の強い七番目の速行心によって生じる果報は、もう一つの一期の生命を生起させるに十分足りる(+力をもっていて、)・・・天人に生まれることも、人に生まれることもできる。 一…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一番目の速行心の果報の状態 一番目の速行心は、力が非常に弱い為、その果報は、現前の、この一生においてのみ、現起(現象)する。 もし、果報が、この一生において現起(現象)しないのであれば、それは、無効…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二、《小誦経》の註釈ーー10学処の説明 《小誦経》ーー(Khuddhaka-pāṭha) 《闡明勝義》(《小誦経》の註釈書) 1、私は、殺生を離れる学処を受持します。 2、私は、不与取を離れる学処を受持します。 3、私…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「雑穢語(samphappalāpa)」--これは、不善の思でもって、身と口において加行を生起せしめ、意味のない表現をするものを言う。 おこなわれた(雑穢語)が比較的遅鈍【軽い】である場合、小罪となる: それが比…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-9(80/230)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「離間語」等について: 話しているその内容のすべてが、己自身を喜ばすものであって、他人(の喜び)とは空(無関係、無所有)である時、これを「離間語」という。 己自身、または他人(+に対して)粗悪な言葉…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この時に破壊された利益が小さい時、小罪となる; (破壊された利益が)大きい時、大罪となる。 または、たとえば、在家者が、己の所有物を布施したくないと思う時に、「(私は)ない」と言う時などは、小罪であ…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 現生受業(=今の生で業を受ける事)の状況、それはちょうど、シャーリプトラとマハーカッサバ尊者の(+実践した様子が知られる)ように、彼らは托鉢の前に、先に滅尽定に入り、出定した後、本日、機縁の熟する…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 礼賛 Vipākapaccayo atthi iti bodhentaṃ vandāmi 果報縁: 清凉で、安定していて、無熱で、無悩で、諸法を安定させる事の出来る、果報縁。 その中に衆生はなく、補特伽羅は無く、非我・非他であり、純粋に法性に…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 業果報の観察 業について語るならば、必ずや、業の果報についても語らねばならない。 果報とは安定しているもので、不善果報は安定しているもので、善の果報も安定しているもので、道と果の果報もまた、安定して…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 彼のこの邪行において、淫行をしてはならない対象において、徳行がないか、または無いと等しい場合は、小罪となる; もし、(+対象が)戒等の徳行を具足している場合は、大罪となる。 この(欲邪行)には、四種…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここにおいて、男子に関して言えば、淫を行ってはならない対象は、20種類の女性であり、それはすなわち、母によって護られている女性など、10種類、すなわち、 母が護る女性、 父が護る女性、 父母が護る女性、 …

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> もう一つ例を挙げる。 寺院を建築する時、その担当者は早く建てたい、美しいものを建てたい、道場を荘厳あるものにしたい、と思う。 この時、彼の思は、他の人とは非常に異なる状態になる。 その差は、彼の心意が…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 業は種子の如く 古徳と論師たちは、「業」を「種子」に例える事が多い。 大樹はなぜ大きくなるのか? それは種子があるが故に; 若し種子がないのであれば、木は育つ事ができない。 大樹が成長するのは、色々な種…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この(不与取)には、五種類の構成要素がある: 「他人の所有物である事、他人の所有物であるという思がある、盗む心、行動する、及び当該の行動によって、取る事」である。 自ら取る、などの六種類の方法がある…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 異刹那業縁(注7) (nānākkhanikakaṃ) 次に、読者の皆様が比較的理解しやすい「異刹那業縁」と、比較的理解しにくい「俱生業縁」について、説明する。 異刹那業縁とは、今現在造(ナ)した善業が、いまだ報いを…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 未だ与えられていないものを取るのを「不与取(adinnādāna)」という。 すなわち、他人のものを取る、盗賊的行為、盗む、などを言う。 「不与」とは、他人が持っている【擁している】ものという意味であり、他人…