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wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-3

仏陀は、「定の準備」と、入定自在、住定自在、出定自在などとを、並列して述べている。 このことは、定の修習における準備作業の重要性を、存分に示している、と言える。 第一級の修行者にとって、定の準備(前行)は、最も大きなキーポイントであり、最も…

☆「掌中の葉」(翻訳文)~2-2

《増支部・六法集・第24経》において、仏陀は定の修習について語った時、以下のように述べた: 比丘は以下の様でなければならないーー 定に入る事において、善くて巧みであり、定に住む事において、善くて巧みであり、定から出ることに、善くて巧みであり、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-1

第二章 定の進展 行道と通達 ここにおいて、初めて(+目標に)専注する事から、何らかのジャーナが生じる近行定の生起まで、その中間における定の修習の過程を「行道」と言う。近行定から安止定まで、その中間における智慧は「通達」と言う。《清浄道論・第…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-46

ソーナ・コーリヴィーサ長老(Soṇa-Koḷivīsa Thera)は、またの名を、スクマーラ・ソーナ(Sukhumāla-Soṇa)と言い、チャンパー(Campā)の生まれで、父親は牡牛長者(Usabhaseṭṭi)である。 王舎城において、ソーナは、仏陀の説法を聞いて、信心(=確信)…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-44

こういう事から、理論を談じている時、我々は究極的なレベルによって、止禅を論じる事は出来る:が、しかし、実修について語る時は、相対的なレベルで語るのが良い。 というのも、定力の育成は段階的なものであり、純粋の程度は、低いレベルから、徐々に高い…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-43

たとえ話をしよう。 今、私の手元には、一杯の水がある。 相対的なレベルで言うと、私は「私の手元に一杯の水がある」と言える。 しかしながら、究極のレベルで言えば、このコップの中には、ただ純粋に、水だけがあるのではなくて、水の中には、多くのミネラ…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-45

この種の修行方法は、あなたにとって、困難なことかも知れない。というのも、あなたは、四界分別観を修行したことがないから。 しかし、もしあなたが、それを修行したことがあるのならば、問題はない。 注釈では、あなたは、もう一つ別の修行方法を、実践す…

是誰庵のひとやすみ~私は本当にいないのか?

ゴータマ仏陀は、六年の修行の後、インド全土に流通していた婆羅門教(現在のヒンズー教)を否定して、それまで誰も気が付かなかった、ある種ブラックホールみたいな、物質と精神(有情と心と物質)の無常性・苦性・無我性を宣揚しました。 で、「無我」とい…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-44

たとえば、もし、あなたもまた、ヴァッカリ長老のように、仏陀への信心が強すぎる時、あなたは、仏陀の特徴に注目することをやめ、仏陀の究極名色法を観じ、その後に、それらを無常・苦・無我として、観ずるべきである。 これは、諸法の自性を省察する一つの…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5‐43

ヴァッカリ長老は、元々は、舎衛城にいた婆羅門で、三つのヴェーダに精通していた。 初めて仏陀を見たとき、彼は、長時間、飽きもせず仏陀を見続け、仏陀が行くところへは、どこへでも付いて行った。 更に仏陀に近づこうとして、彼は、出家して比丘になった…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-42

8-6-2-6 五根のバランス これから、私は、安般念似相に専注する時、如何にして五根をバランスさせるのかを、説明する。 諸根のバランスを保持するという事は、信、精進、念、定、慧の五根をバランスするという事である。 もし、禅の修行者が、信の対象に対し…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-41

理論的な(+ことを理解する)智慧は、パーリ語でpariyatti(教理)といい;修行によって直接、見通す(=透視する)智慧は、パーリ語でpaṭipatti(行道)といい;真理を透視するパーリ語は、paṭivedha(通達)という。 慧は、善根の一つであり、その他の四つ…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-40

諸法を如実知見する事は、仏教の目標である。 智慧は、必ずや、何が究極法で、何が究極法でないかを、知ることが出来なければならない。 邪見がある時、我々は諸法を、如実知見することができない。 究極的には、人、動物、また家屋は真実(+の存在)ではな…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-39

8-6-2-5 慧(paññā) アビダンマにおいて、慧(paññā)、智(ñāṇa)と無痴(amoha)という、この三種類は、同義語である。 ある時は、慧は、慧根(paññindriya)と言われる。 慧は、如実に、究極法を知る:心、心所、色法と涅槃を。 ここにおいて、それを根…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-42

大モッガラーナ比丘は、諸々の比丘に告げて言った: 「諸君、私はこの葉毘尼河の川べりで、不動三昧(第四禅)に入った時、群象が河を渡るために流れに入った時に出した声を聴いた。」 比丘たちは、恨みがましく、不満で、憤慨して言った: 「長老大モッガラ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-41

心が、この種の、微細な体験を処理することに益々上手になれば、中等の精通が得られる。 この時、心が安止定に安住する時間は、徐々に長くなる。 修行者は、徐々に、安止の五種類の基本的な自在を体験するようになる。すなわち、入定自在、住定自在、出定自…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-40

問題五:精通のレベルで分類するならば、定は何種類ありますか? 回答五:三種類である。 「得たばかりの定は下等で、まだ熟練していない定は中等で、非常に熟練し、かつ自在である定は、上等である。」《清浄道論・第三章・第10段》 《清浄道論》では、(+…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-38

目標への専注、という作用を持つ ekaggatā は、通常、一境性または、定と訳される。 一たび「定」と聞くと、我々は、一境性は止禅の中にしかない、と思いがちである。 がしかし、事実はそうではない。 止禅の修習をする時、一境性が進歩を提供する(+という…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-39

三、安止定 安止定の段階においては、心は修行の目標(似相)に融入し、まったく雑念もないし、無理な努力も無用となる。 初めて安止定の境地に入る段階では、この種の境地は、一秒間だけしか持続しないかもしれない。不断の練習を重ねれば、この種の境地が…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-38

二、近行定 それを「近行定」と呼ぶのは、それが止禅に向かう入り口であり、また観禅への入り口でもあるからである。 それが観禅の修行に用いられるとき、伝統的に、それは「刹那定」と呼ばれる。 この段階の特徴、それは、元々の相に専注するかまたは(ある…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-37

(四)先に述べた段階(No1-36)が、更に発展して成熟する時、修行者は、予備定の最高潮に到達する。この段階になると、ある程度の長い時間、自然に目標を覚知することができ、何等の干渉を受けなくなる。 通常、この段階では、(+心の)境地はますます微細…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-36

(三)もし、修行を毎日、継続することができるならば、この平静な覚知・感覚は、ますます強くなり、修行の目標もまた、ますますはっきりとしてくる。 修行者もまた、ますます、修行の目標を覚知できるようになる。 この段階を「修行の目標を自然に覚知する…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-35

(二)修行者の心がますます、<今・ここ>の境地に安住する時、彼は、自然に、ますます多くの心内の平和を経験する。 それがたとえ、心内では、いまだ雑念が生起していたとしても・・・。 この段階を「静かな知覚の段階」と言う。 この静かな知覚(+を知る…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-34

予備定を強化する過程において、修行者は、以下のようないくつかの段階を、経験する: (一)修行者の心が落ち着いてきて、過去と未来の一切の心配事を手放し、純粋に、ただリラックスしている時、彼の心はゆっくりと、ますます静かになり、ますます、<今こ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-33

定の種類とレベル 問題四:定には、いくつ種類があるか? 回答四:定には、三つの種類がある。 すなわち、予備定(遍作定)、近行定と安止定である。 定を修習する時、煩悩の段階的な浄化に伴い、また定力の徐々なる発展に従って、修行者は、三種類の定のレ…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-37

8-6-2-4 定あるいは一境性 定(samādhi)あるいは一境性(ekaggatā)とは、もう一つ別の心所(cetasika)であり、それは必ずや、一つ毎の心(citta)と同時に生起する7つの遍一切心心所の内の一つである。 心の特徴は、目標を認識する事であり、故に、生起した…

是誰庵のひとやすみ~大器晩成

春の庭、今、我が家は、百花繚乱。 というのも、去年の年末、<訳ありチューリップ>の球根を100個、お安く買って、植えておいたから、本当に100本が一気に咲いた! 3年前に、瀕死の様相だった鉢植えバラを購入して、庭に植えました。 3年間、鳴かず飛ばずで…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-36

念は、気づきの善法であり、それは我々をして、不善な法から遠ざけることができる。 実際は、仏法を知らない人であっても、善業をなすことはできるが、しかし、仏法によれば、人々は更に正確に何が善で、何が悪であるかを知ることができる。 善き法友と親し…

是誰庵のひとやすみ~母の子宮へ帰る時

本日のブログに<随所に主となる>のお題で、文章を書きました。 その中で<無分別知>について書いていて、ふと思いついたのですが・・・。 私が長年通っていたタイの森林寺院(アーチャン・チャーの分院)は、山の奥にあり、寺院の立っているその先は、ド…

是誰庵のひとやすみ~随所に主となる

先日、ある方のブログ(テーラワーダ仏教系)を読んでいて、禅宗への批判的な意見をみつけました。う~~ん、ちょっと違うな、と思ったので、反論を、ここに書きます。 彼は、禅宗で言われる「随所に主となる」というフレーズを、<仏陀は無我(私はいない)…

是誰庵のひとやすみ~怒ってはいけない本

世の中には『怒ってはいけない』と題された本が、たくさん出版されています。 私は、意識的に、そのどれをも、読むことはしません。 読んでいないので、内容の良しあしは分かりませんし、本についての批判をしているわけではありませんが、どんなに良い本で…

是誰庵のひとやすみ~テーラワーダ仏教は正しいか?

先日、法友と雑談をしていまして、「テーラワーダ仏教は正しいか?」という事が少し、話題になりました。 しかし、これがなかなか「テーラワーダは正しいゾ!(テーラワーダだけが正しい)」と断言ができないのですね、私には。 まず、パーリ語経典は、古い…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-32

下記は、一般的な検査基準である: 定の種類(定から出た後の結果): ★正定の場合(心は五蓋から遠離している) 1、心内は平和で、静かである。 2、身体において体力、活力を回復している。 3、心は清らかで、鋭敏である。 4、外部の要因に干渉を受けたり、…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-35

念の特徴は、不動揺(=動揺しない事)で、言い換えれば、目標(たとえば、安般禅相または究極法)に対して、それを見失わない、という事でもある。 論師の解説では、念とは、心を目標に安定させることであり、それはちょうど、石が水の中に沈んでいくような…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-34

8-6-2-3 念(sati) 「念」(sati)という、この文字の、語根の意味は、「憶念」である。 しかし、心所(+の働き)としては、それは、留意する、目標に対して気づく、ということになる。 我々が布施(dāna)、持戒(sīla)と禅の修行(bhāvanā)に尽力する…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-31

正定と邪定の見分け方 正定と邪定を見分けるには、瞑想・静坐の後に得られる結果から、判断することができる。 何ほどかの時間をかけて、順序良く訓練された後、あなたは、ある程度の定を、経験することができるようになった。 この時、以下の事に注意を払わ…

是誰庵のひとやすみ~天使の目

毎日の日課で、昨日も、温泉プールに行きました(水中運動の為)。 一時間ほどで運動は終わり、普段着に着替えて、帰ろうとしていた時。 4月に小学一年生になったばかりの女の子が、こういいました。 女の子「おばちゃん、頭、坊主だけど、お坊さんなの?」 …

是誰庵のひとやすみ~他山の石

日本伝来の、または中国から伝わった諺で、その意味が、本来のものと変わってしまったものが、ままあります。 表題の「他山の石」もそうです。 日本では「他山の石」は、嫌な人に出会った時、「ああいう人には、なりたくないものよ」という、反面教師的な意…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-33

精進の近因(=直接原因)は、怖れの心または精進事 (=精進そのもの)である。 生・老と死は、我々をして、最終的に生死輪廻から解脱できるような正見を、急ぎ育成させるよう促すことができる。 我々が、出入息、または安般禅相、または究極法に対して、正…

是誰庵のひとやすみ~水泳と登山

さぁ、四月です。 桜が咲くと、色々なことがしたくなります。 私は、今年は、水泳と登山(里山歩き)です。 私は毎日、水中運動用の温泉プールで、歩行運動をしているのですが、水深が浅いなりに、泳いでいる人がいて・・・それ、ちょっとうらやましかったの…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-30

善くて巧みな、定の修習における過程もまた、この通りである:先に、修行者本人に決意と自律心が必要である。というのも、そうであれば、修行が理想的に進まなくても、引き続き修行に取り組むことができるから。 指導者で言えば、修行者に(+修行の)方法を…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-29

ちょうど水泳を学ぶときのように、体系と善くて巧みな方法(=方便)を、学ばなくてはならない。 通常、水泳を学びたいとやってくる人は、すでに一定程度の決意と自律心を備えているものである。 故に、指導者の主要な任務は、まず、生徒に水を怖がらないよ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-28

五蓋から離れる事より外に、我々は常に、以下の事に注意を払わなければならない: それはすなわち、我々の修行は、必ず愉快、喜悦、軽安、楽しさに満ちたものでなければならない、という事。 というのも、これらの要素があるとき、我々は正定を成就すること…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-27

これらの因の中で、最も基本的なものは、心の中に五蓋があるか、ないかである。 五蓋があるとき、邪定が生じる; 五蓋がないとき、正定が生じる。 ≪中部・第108牧者目連経≫の中で、婆羅門が問う: 「世尊は、あらゆるジャーナ(定)を称賛するのでしょうか?…

是誰庵のひとやすみ~卵を温める

精神世界の事柄は、分からない事は分からないままに置いておき、分かるまで、心の中で温めた方がいい場合が、とても多い。 先日も、20 年来の疑問が一つ、イヤ、合計で3つ、解けました。 一つ目は、ラべリングの時に使う言葉への疑問。 今まで、(某仏教協会…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-26

上述の経文に基づいて、我々は「定」の因を、下記のように、総括することができる。 正定が果である時の、その因。 1、心は五蓋から解脱している。 たとえば、他人を利益したいという清浄なる動機から修行するとき; 放下(=手放す)の精神で修行する時。 …

是誰庵のひとやすみ~「顕正法蔵」翻訳再開の弁

しばらく「顕正法蔵」「目の中の塵」の翻訳を休んでいました。 「掌中の葉」に、重要な命題が紹介されていましたので、その部分を翻訳するのを優先していた、からです。 それは何かというと「正定とは何か?」「邪定とは何か?」という命題です。 もう 20 年…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-25

上述の経文では、定が生じる要素を、述べている。これらの要素の中において、我々は、強制、決意、死守などの項目を見つけることは、できない。 経文では、上記のものが、定を決定する要素であるなどという事を、述べたことがない。 反対に、我々は、ちょう…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-24

「彼は、己自身が五蓋を捨てたことを知った時、愉快(+な気持ち)が生じた。愉快な気持ちによって、喜悦が生じた。心内に喜悦が生じたために、身体は軽安(静か)になった。身体が軽安になった為に、楽しさを感じ、楽しさのために、心は定を得た。」 (翻訳…

是誰庵のひとやすみ~サヤレーのドン引き多世界解釈

実は、私、物理は、まったくダメなのです。 高校の時の「物理」のテストは、いつも一夜漬けの丸暗記で、点数は50点前後、赤点でしたね。 熱と運動の関係とか言われても、さ~っぱり。 お茶を飲みたい時に、お湯が湧けばそれでいいじゃん、な~~んて。そんな…