wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

是誰庵のひとやすみ~台湾僧侶の予言

もう40年程前でしょうか。 私が仕事(中国語通訳)で台湾に滞在した折、台北の本屋さんで『阿含正見』という本を見つけました。 著者は釈従信、比丘です(大乗のお寺を出て、ご自分の精舎をお持ち、とのことでした)。 この本を読んで感動した私は、従信師に…

是誰庵のひとやすみ~修行の場

11月2日に<マハーカルナー法友会>が解散されてから、巷では色々な噂が飛び交っているようです。 噂は噂、自分の毎日の修行は、コツコツと続けましょう。 今回の事件で、修行の場を失った(とお思いの)方。 私が2015年6月26日から翻訳を始めて、このブログ…

是誰庵のひとやすみ~身一つで

私たちは、仏法を学び、実践するのに、何が必要でしょうか? タイや緬甸(ミャンマー)の僧侶の像などを見ると、ゴータマ仏陀が着用されたのとほぼ同じと思われる黄衣を着て、肩から托鉢用の鉢を掛け、手には傘を持っています。 傘は、野宿する時に、広げて…

<マハーカルナー禅師への質問状>について

マハーカルナー禅師には、当ブログにて、 <パオ僧院日本道場の説明責任>2016年12月20日付、 <マハーカルナー禅師への質問状>2017年11月9日付 の、二種類の質問状を公開・提出していますが、11月16日現在、双方とも、回答を頂いておりません。 勿論、この…

是誰庵のひとやすみ~法施は楽しい

私の楽しみは、仏教書を翻訳して、ブログで公開する事。 英語は苦手ですが、中国語は得意ですので、中国語の仏教書(大乗のでなくて、テーラワーダのもの)を日本語に翻訳するのが、私の楽しみ、私の日課。 今手元にある本、パオ・セヤドーの著作は、何冊も…

是誰庵の一休み~先に悟り後で学んだアチャン・ネン

ここ最近、毎日アチャン・ネンの著書「身念処」の翻訳をしておりますが、「アチャン・ネンってどんな人?」と お思いの方も、いらっしゃるでしよう。 少しだけご紹介します(p221より抜粋)。 父親の名は、パヤスッタヤ・ヌンクン。タイ西部、カンチャナブリ…

「身念処」1-66

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-8‐1 善悪と無記 Kusalaの定義は、一種の「善」または「熟練」の状態を言う。 Akusaraは、不善または不熟練。 Abyakata(無記)は、非善非悪:中間的、中立的または中性的(色身、涅槃と異熟心は、無記の具体例…

「身念処」1‐65

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 妄想心も同様であって、もし、修行者が妄想心をコントロールしたいと思い、専注や(+心が長く)平静で(+あり続けたいと強く望むならば)これも貪になる。(+この時)もし、修行者が妄想をコントロールできな…

テーラワーダの出家と在家の関係

私はテーラワーダ仏教を学んで35年になります。 最初にタイのスナンタ・ワラナムで修行し、その後にパオに行き、出家しました(現時点で、ミャンマーの女性出家である<サヤレー>という身分で日本に住んでいます)。 タイで学んだのは15年間、パオは、20年…

カルマ論について

カルマは、日本語では業(ごう)といいます。 その意味は、人間一人ひとりの心には、ある種の癖があり、その癖がその人の行動に、ある種の方向性を持たせ、その行動の方向性によって、人生が、幸せにも不幸せにもなる、という考えです。 これは仏教でも言わ…

テーラワーダ出家者の純潔

テーラワーダの出家者は、戒律に関して、一点の曇りもなく、修行生活を送らなければなりません。 通常、テーラワーダの出家者、特に比丘は、細心の注意を払って生活しています。 自分を訪ねて僧院に来た女性と話をする時、それが妻(別居に相当)であっても…

パオ森林僧院の現状

11月2日よりこのかた、日本(主に東京)では、パオ森林僧院を最後の修行地として帰国された、マハーカルナー禅師の重大戒律違反問題(11月15日現在、真偽不明)で、揺れています。 ただ、揺れていると言っても、日本全体からみれば、 <コップの中の嵐>であ…

「身念処」1-64

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 三番目――潜在的な煩悩(漏): これは微細な煩悩で、例えば痴(邪見)のようなもの。 唯一、実相般若のみが、この種の潜在的な煩悩を断じ除く事ができる。 もし、三番目の煩悩を、断じ除く事ができるならば、第一…

是誰庵のひとやすみ~心を読む

最近、何やら、騒がしい。 パーラージカとか何とか、東京の風が、こんな九州の片田舎にまで、吹いてくる。 韓国の法頂和尚(遷化)は、世間を嫌って、どんどん山奥に逃げていく内に、本当に山のどんづまりまで来てしまい、小さな杣小屋に一人住み、川の水で…

「身念処」1-63

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 煩悩と智慧は、心に命令して、身体にしてもらいたいと思っている事柄を、身体に要求させる事ができる。 煩悩が「我々は散歩に行こう」と言う時、楽しみを探しに行く、という訳である。 智慧は、座る姿勢が痛い時…

「身念処」1-62

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-8 不善根:悪行の根源(無明煩悩) 三個の不善根がある: 貪、瞋(=怒り)、痴(=無知)。 愛(好き)は、一種の貪であり、憎(好きでない)は、一種の瞋、怒りである。 愛と憎は、同時に発生する事はない。…

「身念処」1-61

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> d)Yonisomanasikara または「如理作意(yoniso)」の意味はすなわち、「個人の注意力を、ある事柄に集中させ、正しい理解をもって、それの因を知る事。」である。 これもまた、ある事柄の実相である。 (1-6-1節…

「身念処」1-60

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-7 精進ー正念ー正知、如理作意と観察力 定義: a)Atapi の意味はすなわち、「精進」。 b)Sati の意味はすなわち、「正念」。 二種類の正念がある(すべての正念は、善法であるが、日常生活における「注意力の…

「身念処」1-59

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 問:<今・ここ>を観照する三心と、<今・ここ>を把握する三心は、同じものですか? 答:双方共<今・ここ>という呼び名ですが、しかし、<今・ここ>を観照する三心(思慧)と、<今・ここ>を把握する三心(…

是誰庵のひとやすみ~仏に会っては

心が清らかなでなければ、超能力(神通力)を擁する事はできない。 しかし、超能力を擁するからと言って、その人の心が清いとは限らない。 心が清らかでなければ、禅定に入る事はできない。 しかし、禅定に入れるからと言って、その人の心が清いとは限らない…

「身念処」1-58(50/203)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <今・ここ>を保持する為には、正念正知でもって身・心を観照しなければならない; 心に煩悩が無い時にのみ、(図1-3)にある所の、前三個(=色法、心所、心王)の所縁を、見ることができる。 身・心を所縁と…

「身念処」1-57

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 出世間法の範囲においては、涅槃が所縁となる。道心(道識)と果心(結果)は、涅槃をもって所縁となしており、煩悩を断じ除く事ができるのは、道心である。 世間の範囲における正念正知は、実相般若であり; 出…

「身念処」1-56

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 図1-3 四種類の実相(実相の、更に詳しい細目は図2-2参照の事)。 (原文では、★~★は、表になっていますが、hatenaでは表を作成できませんので、箇条書きとします。 ★四種類の実相 1、色法(無知で無覚知)。 …

マハーカルナー禅師へ

マハーカルナー禅師へ 私が当ブログで要請しました質問に、2017年12月31日 までに、ご回答頂きたいと思います。 質問の内容は、 <マハーカルナー禅師への質問状> (<wong0110's diary> 2017年11月9日付) をご確認下さい。 (http://yamaneko.hatenablog…

「身念処」1-55

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 実相とは、我々が(+上述した所の)座っている色身である。 座っている色身は、無知であり、無自覚である。そして、心が所縁(座っている色身)を認識するが、心もまた実相である。 世間には二種類の実相しかな…

マハーカルナー禅師への質問状(11月11日~18日、加筆・修正あり)

過日、パオ森林僧院出身のマハーカルナー禅師にパーラージカ(四大戒律違反/淫、盗、妄、殺)の疑いが出て、彼を支えていた<マハーカルナー法友会>は解散、WEBが閉鎖されました(11月2日付)。 サンガ出版は、禅師に関する各種の活動告知をすべて、抹消し…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-121

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> まさに、この男性が、二股の枝で、その蛇を捉まえようとする時、心の中で思う: 「私はどのようにすれば、彼を害さないで、また、私が彼に、咬まれないという状況の下で、彼を取り除く事ができるか?」 この時、…

是誰庵のひとやすみ~黄梅が熟した

中国は、魏や唐の時代、禅宗が勃興しました。 多くの人が、禅寺の門を叩き、禅の修行をしました。 それまでの中国仏教は、理論を勉強し(主に華厳経)、その会得した知識を競うものであったのですが、(達磨禅師のご努力により)仏法とは、修行して悟りを得…

是誰庵のひとやすみ~傲慢な仏教徒

ゴータマ仏陀の教えた仏法は、大変な価値を持っていると思います。 一たび四聖諦を知り(本当にその本質を知るには、修行しなければなりませんが)、八聖道を実践していくと、なんだか未来が明るくなったような気がします。 しかし、だからと言って、他の宗…

是誰庵のひとやすみ~自知冷暖

2600年前、ゴータマ仏陀ご在世の時代、仏陀は各地へ行脚、説法をされたように、仏典では紹介されています。 でも、大昔、便利な交通機関もなかった頃、一生に一度しか、仏陀に会えなかった人々も、多くいた事でしょう。 彼らは、修行をどのようにしたのでし…