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wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

是誰庵のひとやすみ~考えない事

以前、当ブログに<怒らない事>について書きましたが、今回は<考えない事>について・・・。 クムダ・セヤドーが指導される、大阪の瞑想会に行ってきました。若い人も大勢参加されていて・・・ある人から以下のような質問がありました。 「瞑想する時、考…

是誰庵のひとやすみ~仏教の原点

私は子供の時から仏教が好きで、随分早くから、仏典を手当り次第、読んでいました。 その頃は、仏典と言えば大乗仏典の事で、中村元先生の原始仏教系の経典は、まだ世に出ていなかったと思います。 ただ、不思議なことに大乗経典を読みながら、子供心に「ゴ…

是誰庵のひとやすみ~マイネーと白い雲

最近のインターネットでは、寺島しのぶの長男まほろ君が歌舞伎デビューした、という事が、ニュースとして、画面をにぎわしています。 その見出しが <寺島しのぶ、まほろ君を2歳から超英才教育> ちょっと嫌だな、と思いました。 まぁ、我々庶民、子供が高校…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-19

三、結行 結行(定の修習における、終了の仕方) --心を収める事と、功を収める事 (=瞑想を終了、切り上げる事) 彼は、希望する処において、希望する時において、希望する長さの時間において、なんらの困難もなく(初禅などの)定から出てくる。 これが…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-18

6、身正直性・心正直性 (kyujjukat、cittujjukat) 身正直性:心所が正直(=まっすぐ)で、嘘がない事。 心正直性:心が正直で、嘘がない事。 正直性の障礙:(修行の目標に対して)冷淡である事。 障礙が発生する原因:あなたの心がますます静かで、平和に…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-17

5、身練達性・心練達性 (kya-pguññat、cittta-pguññat) 身練達性:心所が健全で、病的でない事。 心練達性:心が健全で、病的でない事。 練達性の障礙:執着が習慣化している(本来的に認識している粗雑な空間に執着している)。 障礙が生じる原因:本来的…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-16

4、身適業性・心適業性 (kya-kammaññat、citta-kammaññat)kya原文ママ。kayaが正しい?ー後ほど確認しますー訳者 身適業性:心所が、目標を縁に取ることに成功する事。 心適業性:心が、目標を縁に取ることに成功する事。 身適業性の障礙:保守に回る(「(…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-15

2、身軽快性・心軽快性 (kaya-lahut、citta-lahut) 身軽快性:心所の沈み込みがない事(活発である事)。 心軽快性:心の沈み込みがない事(活発である事)。 軽快性の障礙:緊張。 障礙の発生原因:過度に定の修習の目標を憶念する事。 矯正の方法:直覚…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-14

【定力を深める六つの素因】 あなたが、上述(No1-13)の、二つの原則を善用して、定の修習をする時、あなたの定力は、修行した時間に伴って、増強される。 この段階で、もし、あなたが良い師を見つけることができたならば、それはとても良い事である。とい…

是誰庵のひとやすみ~翻訳頻度落ちます

これより先、5月末まで、瞑想会参加等で、 何かと忙しく、翻訳頻度、落ちます。 家にいられる日は、できるだけ、一篇だけ でも翻訳したいと思っていますが・・・ 出たとこ勝負、という事で。 よろしくお願いいたします。 Pañña-adhika Sayalay

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-13

心の中にどのような境地、境界・・・たとえば、光明、喜悦、または愉快な感覚等が生じようとも、心内では、ただ修行の目標に対する微細な覚受(=知覚と感受)を、自在に、保持するのが正しい。 光明、喜悦や愉快な感覚が、自然に発展するのを、そのままに、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-12

もし、修行において、「自在」に遍重しすぎて、「体験」を軽視したならば、軽安、定、捨の三覚支のパワーが、択法、精進、喜の三覚支より強くなってしまい、その結果、心は、懈怠の方へと傾いてしまう。 反対に、もし、修行者が「体験」に重きを置きすぎて、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-11

【自在とは何か】 定の修習において、重要な一つの秘訣は: 自在に体験する事、である。 「自在」とは、心に求めるものがなく、障礙のない(+心理)状態であることを言う; 「体験」とは、目標の感受である。 ここでは、「自在」と「体験」という二つの項目…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-10

【如実とは】 「1%は1%、2%は2%」。 ここで言う「如実」とは、<今・ここ>の境界がどうあろうとも、そのありのままに、それを体験することを言う。 すなわち、1%なら、1%分の体験をすればよい、のである。 定の修習をしていて、(+瞑想の)縁に取っ…

是誰庵のひとやすみ~愚僧による無我に関する覚書(レベル低いかも)

仏教で言う「無我」、これは何であるか、なかなか説明が難しいです。 大きく分けて、テーラワーダの<無我>と、大乗禅宗系の<無我>が微妙に、というか、大いに違う(ように私には思える)。 テーラーワーダで言う<無我>は、 (1)己の人格は架空である…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)-5-50

8-6-3 禅相の(巧みな)掌握 禅相を巧みに掌握するとは: (一)安般念、またはその他の業処を通して、未だ生じた事のない心一境性の相(禅相)を生起させる事に、巧みであること; (二)すでに生起した禅相を、育成するのに巧みな事; (三)育成して、す…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-9

第二に、「落ち着いていて、優しさ(=柔和)に熟練している」とは、どのような事か? どのようにすれば、平静と柔和に到達できるのか? (+もし)我々に、自在な心があり、(+その心が)何かの事実に「接触」する時、我々は軽々と、一切の変化ーーそれが…

是誰庵のひとやすみ~安般念と正念正知

安般念は、インドの古い言葉で <アーナ・パーナ・サティ>と言われているものを、昔の中国人が、漢語に翻訳したものです。 ですから、音訳で安那・般那・念ともいい、意訳では、出入息念とも、言います。 文字通り、己自身の鼻孔から出入りする息を観察する…

是誰庵のひとやすみ~回頭是岸

台湾のお寺に行くと、山門によく<回頭是岸>と書いた扁額が掲げられています。 <彼>という文字を足して<回頭是彼岸>と言えば、はは~、と納得される方も多いと思います。 仏教徒は、一応、涅槃(彼岸)を目指すというのが、基本のセオリーとなっていま…

是誰庵のひとやすみ~賢い子ども

先日、ある小さな集会に出ました。 雑談で「仕事が忙しい時に、それに上乗せするように、アレコレ指示されると腹が立つ」というお話が、ありました。 よく分かります、よく分かります。 以前の私もそうでした。 でも、息を観る瞑想(安般念瞑想)をウン十年…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-8

二、正行 正行(定の修習における心の用い方・法則) ーー如実と自在 「渇愛に征服された人、彼の行道は艱難辛苦(苦行道)であり;渇愛に征服されない人、彼の行道は容易(楽行道)である。」 「落ち着きと優しさに熟練しない人、彼の行道は艱難辛苦であり…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-49

また、信と慧とを、バランスしなければならない。 止禅の業処を修習しようとする修行者にとって、強固な確信は、有益である。 というのも、多少信へと偏向した心は、安止(+定)へと導くことができるから。 もし人が、「安般似相に専注する定力を育成したな…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-48

また、もし、定が強く、精進が弱い時、定には、懈怠を生じる傾向があるために、心が懈怠に征服されてしまうことがある。 故に、あなたは、気の抜けた、だらしない心で、安般念似相に専注することをしてはならない。というのも、そうすると、それは懈怠の助縁…

是誰庵のひとやすみ~日本の仏教界

先日、新しく開業した病院に行きました。 最近、血圧、息切れ等、少々気になる体調の変化がありましたので(結果は、ノープロブレムでしたが)。 それで、頭が坊主になっている理由を、初対面の医師に説明した所、大変に驚かれて、二人の看護師さんと一緒に…

是誰庵のひとやすみ~女性の阿羅漢

タイや緬甸(ミャンマー)には比丘はいても、残念ながら、比丘尼は存在しません。その歴史的経緯を書くと、長くなるので、割愛させて頂きますが。 もし、女性の阿羅漢が出て、その人が女性出家希望者を受け入れたならば、テーラワーダ(南伝仏教)でも、比丘…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-47

同様に、もし、その他の諸根、たとえば、定根、慧根が強すぎる時、よくない影響が起こる。 どれか一つの根が強すぎる時、その他の根が、各自の任務を遂行できなくなる事を、(+修行者は)知っておくべきである。 そして、信根と慧根、定根と精進根のバラン…

是誰庵のひとやすみ~期待値を下げる

先日、ある地方のおばぁさんから電話があり、人生相談に乗ってくれ、との事。 息子に呼ばれて、息子の車に乗ったら、お嫁さんとそのお母さんが一緒で、日帰り旅行をしたけれど、自分一人だけ浮いて、楽しくなかった、と言うのです。 息子さんが、奥さんに気…

是誰庵のひとやすみ~クムダ・セヤドー来日

先月末、クムダ・セヤドーが来日されました、日本の方がたに、瞑想指導をする為です。 セヤドーは、モーラミャインにある、パオ森林寺院のヤンゴン分院(モービー僧院)の住職さんで、私の二回目の出家の時の、戒師を務めてくださいました。とても優しい感じ…

是誰庵のひとやすみ~バラに蕾が・・・

以前、♪バラが咲いた、バラが咲いた♪、という歌がはやりました・・・私はこの歌、あまり好きではなかったけど(ちょっと甘すぎかな?)。 我が家のバラに、蕾が・・・。 枯れて死にかけだったのが、庭に下ろして三年、今年、見事復活した白いバラ。一番元気…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-7

もし、在家者であれば、定の修習の前に、上記(No.2-6)の項目を実践すること以外に、リラックスの為の運動をしてもよい; たとえば、太極拳、ヨガ、気功式立禅等。 八戒を受けない日ならば、静かな音楽を聴く、歌う、またはダンスをしてもよい。 定の修習に…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-6

【リラックスの方法】 もし、出家者であれば、定の修習の前に、読経、仏像の礼拝、経行、または屈伸運動(=ストレッチ)をしてもよい。 1、読経――丹田(小腹)の力を使う。肺の奥深くから情感を用い、調和のとれた静かな心情で読む。読みながら、経文の意味…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-5

定の修習において、善くて巧みな人は、まず、先に、己の心身を調整して(前行)、心身を定の修習に適応する状態にしてから、正式に、定の修習に取り組む(正行)べきであることを、知っている。 もし、日常的に、常に、定の準備作業に関する訓練を積み重ねて…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-4

定の準備の作業の重点は、気血の滞り、心身の緊張、五蓋の煩悩等、定の修習における心身の障礙を取り除くことにある。 そのことによって、修行者が順調に、正定へと向かうことが出来るし、それは、正式に定を修習するにおいて、その勝敗優劣を決めることにな…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-3

仏陀は、「定の準備」と、入定自在、住定自在、出定自在などとを、並列して述べている。 このことは、定の修習における準備作業の重要性を、存分に示している、と言える。 第一級の修行者にとって、定の準備(前行)は、最も大きなキーポイントであり、最も…

☆「掌中の葉」(翻訳文)~2-2

《増支部・六法集・第24経》において、仏陀は定の修習について語った時、以下のように述べた: 比丘は以下の様でなければならないーー 定に入る事において、善くて巧みであり、定に住む事において、善くて巧みであり、定から出ることに、善くて巧みであり、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-1

第二章 定の進展 行道と通達 ここにおいて、初めて(+目標に)専注する事から、何らかのジャーナが生じる近行定の生起まで、その中間における定の修習の過程を「行道」と言う。近行定から安止定まで、その中間における智慧は「通達」と言う。《清浄道論・第…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-46

ソーナ・コーリヴィーサ長老(Soṇa-Koḷivīsa Thera)は、またの名を、スクマーラ・ソーナ(Sukhumāla-Soṇa)と言い、チャンパー(Campā)の生まれで、父親は牡牛長者(Usabhaseṭṭi)である。 王舎城において、ソーナは、仏陀の説法を聞いて、信心(=確信)…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-44

こういう事から、理論を談じている時、我々は究極的なレベルによって、止禅を論じる事は出来る:が、しかし、実修について語る時は、相対的なレベルで語るのが良い。 というのも、定力の育成は段階的なものであり、純粋の程度は、低いレベルから、徐々に高い…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-43

たとえ話をしよう。 今、私の手元には、一杯の水がある。 相対的なレベルで言うと、私は「私の手元に一杯の水がある」と言える。 しかしながら、究極のレベルで言えば、このコップの中には、ただ純粋に、水だけがあるのではなくて、水の中には、多くのミネラ…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-45

この種の修行方法は、あなたにとって、困難なことかも知れない。というのも、あなたは、四界分別観を修行したことがないから。 しかし、もしあなたが、それを修行したことがあるのならば、問題はない。 注釈では、あなたは、もう一つ別の修行方法を、実践す…

是誰庵のひとやすみ~私は本当にいないのか?

ゴータマ仏陀は、六年の修行の後、インド全土に流通していた婆羅門教(現在のヒンズー教)を否定して、それまで誰も気が付かなかった、ある種ブラックホールみたいな、物質と精神(有情と心と物質)の無常性・苦性・無我性を宣揚しました。 で、「無我」とい…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-44

たとえば、もし、あなたもまた、ヴァッカリ長老のように、仏陀への信心が強すぎる時、あなたは、仏陀の特徴に注目することをやめ、仏陀の究極名色法を観じ、その後に、それらを無常・苦・無我として、観ずるべきである。 これは、諸法の自性を省察する一つの…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5‐43

ヴァッカリ長老は、元々は、舎衛城にいた婆羅門で、三つのヴェーダに精通していた。 初めて仏陀を見たとき、彼は、長時間、飽きもせず仏陀を見続け、仏陀が行くところへは、どこへでも付いて行った。 更に仏陀に近づこうとして、彼は、出家して比丘になった…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-42

8-6-2-6 五根のバランス これから、私は、安般念似相に専注する時、如何にして五根をバランスさせるのかを、説明する。 諸根のバランスを保持するという事は、信、精進、念、定、慧の五根をバランスするという事である。 もし、禅の修行者が、信の対象に対し…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-41

理論的な(+ことを理解する)智慧は、パーリ語でpariyatti(教理)といい;修行によって直接、見通す(=透視する)智慧は、パーリ語でpaṭipatti(行道)といい;真理を透視するパーリ語は、paṭivedha(通達)という。 慧は、善根の一つであり、その他の四つ…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-40

諸法を如実知見する事は、仏教の目標である。 智慧は、必ずや、何が究極法で、何が究極法でないかを、知ることが出来なければならない。 邪見がある時、我々は諸法を、如実知見することができない。 究極的には、人、動物、また家屋は真実(+の存在)ではな…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~5-39

8-6-2-5 慧(paññā) アビダンマにおいて、慧(paññā)、智(ñāṇa)と無痴(amoha)という、この三種類は、同義語である。 ある時は、慧は、慧根(paññindriya)と言われる。 慧は、如実に、究極法を知る:心、心所、色法と涅槃を。 ここにおいて、それを根…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-42

大モッガラーナ比丘は、諸々の比丘に告げて言った: 「諸君、私はこの葉毘尼河の川べりで、不動三昧(第四禅)に入った時、群象が河を渡るために流れに入った時に出した声を聴いた。」 比丘たちは、恨みがましく、不満で、憤慨して言った: 「長老大モッガラ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-41

心が、この種の、微細な体験を処理することに益々上手になれば、中等の精通が得られる。 この時、心が安止定に安住する時間は、徐々に長くなる。 修行者は、徐々に、安止の五種類の基本的な自在を体験するようになる。すなわち、入定自在、住定自在、出定自…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-40

問題五:精通のレベルで分類するならば、定は何種類ありますか? 回答五:三種類である。 「得たばかりの定は下等で、まだ熟練していない定は中等で、非常に熟練し、かつ自在である定は、上等である。」《清浄道論・第三章・第10段》 《清浄道論》では、(+…