2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧
次に、まったくもって智者だけが、まったくの瞋恚なしに他人からの、 自分への虐め、虐待を忍耐して受け入れる事ができ、愚かな人には、 それは、できない。 智慧が少ない人は、他人からの虐めや虐待は、ただイライラを増加 させるだけである。しかしながら…
四、智慧波羅蜜 智慧波羅蜜に関して言えば、それは大悲心と方法善巧智(=方便)を 基礎にして、諸法の共相(=共通する性質)と特相(=特徴)を 見通す心所である。 その特徴は、諸法の実相を見通す事、または、まったくの錯誤なしに、 目標の共相と特徴を…
最初の日、大黄金は、自分の食べ物を取りに行った時、自分の分が ないのに気がついた。 彼は、当直の人が忘れたのだろう、と考えので、特に何も言わずに、 住居に戻って、禅の修行を続けた。 次の日、彼は又、自分の食べ物を得る事が出来なかった。 彼は、誰…
雨が降る降る・・・九州の我がY盆地に、雨が降る。 ここの所、梅雨の雨、台風の余波の雨・・・ずっと雨が 続いています。 たまにトマトやキュウリをもぎに、畑に行きますが、 庭(半分畑、半分ローズガーデン)の雑草は伸び放題です。 4月に植えたバラに、蕾…
ここにおいて、私は《蓮根本生経》を簡単に紹介して、出離波羅蜜 とは何か、を説明する。 以前、名前を大黄金と言う、年若い婆羅門がいた。 生まれは波羅奈国。 彼は他の10人・・・6人の弟、一人の妹、一人の男性の下僕、一人の 女性の下僕と一人の友人、と…
最近、アンガーマネージメントとか、怒らない事とか、 怒りをコントロールする智慧の話が、流行っているようです。 私は長年瞑想しているのですが、それでも、怒らない事って、 なかなか難しいなぁ、と思います。 先日も、ある会合を休んだら「なぜ、私に欠…
出離波羅蜜についていえば、それは、大悲心と方法善巧智を基礎 とした出離心であり、それは欲楽と生命の不円満を了解した後、 生じる所の捨棄の心である。 その特徴は、欲楽と生命の捨棄であり;作用は欲楽と生命の不円満を 見通すことであり;現起(=現象…
もしも、過去に蓄積した力のせいで、持戒とは反対の、<反感> などの法が、時として生じる場合、菩薩道を修すると発願 した者は、以下のように省察しなければならない: 「己は、阿羅漢道智と、正等正覚を、証悟する必要があるのでは なかったか?もし、己…
次に、持戒は、喜悦の根源である事を省察する・・・それは、 自責の念、他人からの譴責、懲罰及び死後、悪道に落ちる事から 守ってくれる。 持戒は、智者から讃嘆される;後悔から無縁になる;安全の基礎である; それは、自分が獲得した出身(+の良し悪し…
この、後者6つの問題について、比丘たちは、最初の問題と同じように、 無知なる回答をした。 仏陀もまた、最初の回答と同じような、回答をした。 すなわち、戒を持さない者は、両足を人に打ち砕かれようとも、 胸を矛で突き刺されようとも、まだ、その方が…
ある時、仏陀と大勢の比丘が、コーサラ国を遊行していて、ある所で、 一塊の烈火を見た。 仏陀は即刻、その道を離れ、一本の木の下に行き、阿難尊者が袈裟を 敷いて準備した、彼のための坐に座った。 その後、仏陀は大勢の比丘に訊ねた: 「比丘たちよ。どち…
また世尊は、《増支部》の中で、以下のように言っている: 「比丘たちよ。有徳の者の心願は、清浄なる戒によって、 実現する」。 《中部・経六》の中で、世尊は以下のように言う: 「比丘たちよ。もし、比丘が『私の梵行修行の仲間が、私を好み、 尊敬してく…
二、持戒波羅蜜 持戒波羅蜜についていえば、それは大悲心と方法善巧智(=方便) を基礎とした、善なる身と口における業である。 《論蔵》の定義によると、持戒とは「離心所」と、まさに今善を行おうと している所の「思心所」である。 その特徴は、身と口が…
この事から見ると、パーリ語経典の中の《仏種姓経》と《施分別経》 の間には矛盾があるように思われる。 しかし、もし、《施分別経》の説かれた対象が、普通の人と天神であり、 《仏種姓経》は、もっぱら一切知智、または仏智を証悟したい菩薩行 実践者に向…
プラユキ師は、著書『自由に生きる』の中で、真善美を仏法の 戒定慧に対応されています。 この着眼点、素晴らしいと思いました。 師の説明と、私の思いとをまぜて、感想を書くとすると・・・ 仏法の実践で大切な事は、善業を積む(良い事をなし、悪い事 はし…
インダカは、スプーン一杯の食事をお布施しただけだが、 受者が阿羅漢であったため、その善業は非常に大きく、 また聖なる清らかさがあった。 彼は上級の天神であったため、座席を譲る必要はなかった。 それに引きかえ、アンクラは、非常に長期に亘って大量…
プラユキ師は、著書『自由に生きる』の<戒律>の所で、 午後食事をしないのはいいことだ、とおっしゃっています。 確かに、一日3食、それを毎回作るとなると、結構な労力です。 タイの森林寺院では、朝一回食事を取ると、その日はそれで 終わり。午後、小腹…
《仏種姓経》の中の、布施という章では、はっきりと、布施する時 は、受者を上、中、下と分けてはいけない、と言っている。 この経文から、差別の心で受者を選択して布施することは不当であり、 してはいけない事であることが分かる。 しかし、《中部・後分…
昨日、図書館より「購入希望の本が届きました」という連絡が 入りました。 だめもとで頼んでいた、タイの日本人僧侶プラユキ師の著書 『自由に生きる』です(田舎の小さな図書館、こういう本を 買っていただけるかどうか、分かりませんでしたが・・・ <心の…
私は、ミャンマーの事を<緬甸>と書きます。 昔の人は<緬甸>を<ビルマ>と読みましたが、今は <ミャンマー>と読むか、または、緬甸なんて漢字は もう最初から使わないで、<ミャンマー>と、 カタカナで書くようです。 それを知っていながら、なぜ、私…
私は日夜、仏陀の教えを実践する努力をしている仏教徒(追補) ですが、我が家には仏壇はありません。 先祖の位牌を持っていませんし、先祖への感謝は心の中ですればよい、 と思っています(私は、特別先祖が尊いというより、生死輪廻して いる命は、皆平等…
娑婆世界における、これほど多くの旅人の中で、菩薩は、最も偉大なる 人物である。授記を受けた後、菩薩は、少なくとも四阿僧祇劫と十万大劫 の長きに亘って、諸々の波羅蜜を円満成就して、一切知智を証悟しな ければならない。 故に、長い娑婆での、旅の途…
上述(No102)の《相応部・具偈品》の偈について、我々は、その本当 の意味を、知る必要がある。 仏陀がこの偈を教えた対象は、上等な根器を持つ人々であって、彼らは、 この一生の内に、修行に精進すれば、阿羅漢果を証悟し、一切の煩悩を 断ちきり、来世は…
ここにきて、一つ考えなければならない事がある。 それは: 布施波羅蜜というのは、本当に実践しなければならないもの なのかどうか?という事である。 《相応部・具偈品》の中に、一首の偈がある: ”Sīle patiṭṭhāya naro sapañño・・・”ーー「戒を有する …
このように省察する時、彼は、己の生命と身体に対して、 いかなる顧慮を持つこともなく、悟りの為に、それらを 捨て去ることができる。 故に、彼の身・口・意は、非常に容易に浄化され、昇華される。 菩薩は、このように己の身・口・意を浄化した後、善悪を…
もし、菩薩道を修習すると発心した者が、長い間、貪欲の影響を受けて いたために、ある物に執着の心を起こしたならば、彼は、以下のように 省察しなければならない: 「発願した時、あなたは、自己の生命と修行によって得た善業でもって、 衆生を援助しよう…
彼は、以下の省察を通して、一抹の憂い、一抹の後悔もない 布施する心を、惹起するべきである: 「ブーメランが、投げた者の所へ戻ってくるように、善報もまた、 見返りを求めない布施者のもとに戻ってくる。」 もし、布施を受け取る人が親しい者である場合…
彼はまた、このように省察しなければならない: 「この人は、私に至善を行うチャンスをくれている。私はこのよき チャンスを逃してはならない。」「生命はいつの日か終わる。私は、 人から求められなくても、(+財物を)こちらから上げなければなら ないのに…
布施波羅蜜については、以下のように省察する: 「私的な財産、富、例えば、土地、金、銀、牛、水牛と男女の 奴婢など、そして自分の妻子は、それに執着する主人にとっては、 災難をもたらすものだ。というのも、これらは五欲の目標であり、 多くの人々が、…
4月、熊本地震が起こる前、テーラワーダ(南伝仏教)のN長老比丘が 我が Y盆地にみえました。 お食事をお布施して、「如何ですか?お口に合いますか?」と訊ねたら、 「いや~、出家の僧侶は、美味しいとか美味しくないとか、そんな事は 言わないのです」と…