2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧
<問答二> 問2-1:禅の修習をする修行者の中で、四禅八定を証悟し、あまつさえ観禅(ヴィパサー)まで修行している人がいます。しかし、彼らの日常の行為または徳行は決して良くありません。あまり戒律を守らないし、多くの人々は、この修行の法門に懐疑心…
(↑ 青息吐息だったのが、少し気色が 良くなりました。) 以前、知り合いの方からマーガレットの抜き苗 を貰ったのですが、残念ながら、定着しません でした。 先日、用事で隣の町へ出かけたとき、ホーム センターで、枯れかけのマーガレットを見つけ、 同じ…
5、定を修習する者はどのような善巧なる調伏 法門によって定の境地に安住するのか? 通常は、人はみな一種の間違った考えを持っていて、自分が一人の師父(=指導者)を見つけて、己に一つ呪文か、またはまじないを教えてくれて、禅七(=七日間のリトリー…
問1-10:禅師、以下の質問にご回答をお願い します: 1、禅師の教える業処の内、断食法と禅の修行 の組み合わせ、というものはありますか? 2、断食は禅の修行に利益がありますか? 不利益がありますか? 3、上座部の経典の中で、仏陀の声聞弟子が断 食で…
問1-9:釈迦牟尼仏はかつて、阿羅漢たちに授記 をしている:(+その阿羅漢たちは)幾劫の 後に、どこかの地において仏になるでしょう。 しかし、阿羅漢はすでに煩悩を断滅していて、 後有を受けないため、この期間の寿命が尽きる のを待って、般涅槃に入り…
4、定を修習する者が定に入るには、定と慧に関するどのような等持(=等しい、同等の)なる路線があるか? 世尊は言う:「修静慮者、或有等持善巧、非等至善巧」 いわゆる定・慧双修とは、等持善巧の事である。 普通我々がいうように「禅密双修」「禅浄双修…
問1-8:行禅とは何ですか?たとえば、歩くときには、どの速度が一番良いですか?ゆっくり、中くらい、それとも速く?行禅の時、我々は何を「想」えばよいですか? 私は初心者です。 禅師に、初心者が定力を育成することに対するアドバイスをお願いします。 …
問1-7:「禅宗」では、頓悟の法門によって「明心見性」に到達すると、大いに円解を開く、と言います。また、禅の修行をしなくても、明心見性を証悟することができる、という人もいます。 禅の修行をせずとも、明心見性を頓悟する法門について、教えてくださ…
問1-6:《大空経》の中に、以下のような開示 があります。比丘は、群衆から遠く離れて、 静寂な場所に一人でいた方が、比較的容易に 道業が成就する、と。 そうであるなら、大勢で共修(=瞑想会、 リトリート等の事)するのは、余り進歩しない のでしょう…
シャングリラ、失われた理想郷。 チベットのどこかにある、という話。 中国の雲南省にある中甸が、地名変更 で<香格里拉>になったのは、どうも・・・。 (松賛林寺には行ってみたいけれど)。 写真は、我が家からみた盆地の対面、 朝の、雲の流れがよかっ…
3、初心者が定を修習する時、正法は どのように求めるか? 通常、初心者は、定の修習に関して、皆、非常 に興味を持ち、何か聞いたり、何か匂ったり すると、急いで座って足を組んだりする。 これは非常に喜ばしい現象ではあるが、 しかし、その方法が正し…
2、定の必須条件とは何か? 定の必須条件とは「軽安」である。 言い換えれば、一種の、安寧自在の寂静の 状態。平等、清浄と融合し、障礙のない、 自然の中に処する、ということである。 我々は、通常、打坐(=座禅・瞑想/以下同様/ 訳者注)する時、あそ…
問1-4 (+台湾・中国の文化圏の)一般の 人々は、死者に金・銀紙を焼いて供養します が、これは迷信ですか? 答1-4 南伝仏教ではこのような習俗はない。 しかし、我々は、死者の名義で善事、たとえ ば、布施などをして、その功徳を死者に 回向することはで…
その後、あなたは、更に一歩進んで、真正な 観禅に取り組んで、名色及びそれらの因と縁が 無常・苦・無我であることを照見する。 このように修行する時、あなたは、暫定的に 煩悩を取り除くことができるが、これは 世間的な滅諦である。 観禅の心と同時に生…
今年7月、熱海の瞑想会(クムダ・セヤドー ご指導)に参加しました。 その時、話題になったのが「あなたはどうして Y盆地に引っ越したのか?」ということ(私 はヒョンな切っ掛けでY盆地に、格安の家を 見つけて購入し、今年で6年目に入りました)。 インタ…
今日のトレトレは、フェルトで作った果物 と野菜。 もうすぐ3歳になる孫娘の誕生日に間に 合うように、作りました。 手前のバナナは、皮が剥けて、中身がスルリと 抜けます。 葡萄はちょっと面倒で、作って楽しかった のは、蕪とバナナとレモン。簡単なのは…
第一章 禅定 第一節 定、入定、出定 1、定とは何か? 定、梵語では禅那(=ジャーナ)と言い、 《大学》の中には「知止而後有定」という言葉 があり、故に(+中国文化圏では)「禅定」 という; 後期に翻訳された経典では、禅那は、完全には その含む所の…
名色を観照した後、あなたは更に一歩進んで、 縁起の修行をする(+必要がある)。 縁起とは、集諦の事である。 あなたは過去の一組の因が、現在の果を造る ことを見ることができる。過去の因は、ただの 名色にすぎず、現在の果も、ただの名色に 過ぎない。…
問1-3:一般的には、人は死んだあと、なお霊魂 があり、永恒で不死であると考えられて いますが、これは常見です。 仏陀は我々に常見と断見を捨離して、中道を 採用するように言いましたが、中道とはどう いうものですか? そして、我々は、人が解脱していな…
序説 仏教を学ぶ者は、徹底的に、以下の三種類の 事柄について、しっかりと理解しておかなけれ ばならない: 一、私はどこから来たのか? 二、本来の面目とは何か? 三、原点に戻る方法とは何か? そうでなければ、一生持戒し、根を断じ、枯れ るほど座り続…
パオ・セヤドーの「菩提資糧」の翻訳が終わっ てから、「修心与神通」の翻訳を開始しようと 考えていましたが、「菩提資糧」の翻訳完了を 待たず、「菩提資糧」と並行して、「修心与 神通」の翻訳を開始します(「菩提資糧」は、 一か月ほどで終了し、その後…
我が家には、人から頂いた仏陀の像がいくつ かありますが、これは自分で購入したもの です、20年前、バリ島で・・・(正確には、 露店の店主は、「これ、仏陀じゃないけど、 いいのかい?」って念押ししてくれたのです けどね。彼が私を仏教徒だと言い当てた…
問1-2:《如実知見》の中で、禅師は言いま した:「シャーリープトラ尊者とモッガ ラーナ尊者の阿羅漢道と上首(=最上位)弟子 の覚智は同等で、婆醯の阿羅漢道は、大弟子 の覚智と同等である」と。 これら、彼らの差異を生み出したのは、波羅蜜 を積む時…
先日、「今更聞けないPCの疑問」を聞きに、 隣町のPC教室に、行ってきました。 その帰り道、<道の駅>に寄って買ったのが 写真のユーフォルビア・ダイヤモンドフロスト とアメリカン・ブルー、両方とも探していた お花で、ラッキー!でした。 買って帰って…
問答(一) 問1-1:禅師にお訊ねします。 無我と空は、レベルの上で何が異なるの でしょうか? 答1-1:法句経(Dhammapada)の中 で、仏陀は開示して言った: 「一切の法は無我(sabbe dhamma anatta)である」。 ここで言う所の一切とは、有為法と無為法 …
「自我」を手放せば、苦痛は止息する~ この物語(No82)と、「自我」を持つという ことはよく似ていて、「自我」を利用して、 自分の好きな、どんなこともできる。 時間の長短に関係なく、永遠にそうあり続け たければ、「自我」は、そうすることが できる…
総論:仏法と各種の観点の比較 我執があるとき、重荷、苦痛がある~ 上帝(=神)に関する観点または教義を主張 する(+人々の)その目的は、彼らの信徒を屈 服・仕えさせ、かつ、それに対して疑問を 持たずに規則を守らせることにある。 ゆえに、これらの…
★以下は、ブッダダーサ尊者による、西洋の 学者の自我観の紹介です。要点のみ概略紹介 いたします(訳者)。 (1)Ciceroーー「自我」は思考でき、行動 でき、感覚し、また果報の受取人である。 (2)Baileyーー「自我」とは上帝(=神) である。 (3)E…
西洋の学者の「自我観」 「自我」は永遠不滅の霊魂~ Baij Nath Khanna は彼の著作《バガ ヴァット・ギーターの光》の中で、以下の観念 がよく理解できるように、我々を導いてくれる。 「自我」は業力の影響を受けず、ソレは神の 領域にあり、物質世界とソレ…
仏教は「自我」を取り除いてのみ 涅槃を証悟できると言う~ 前述(No77 )の文言から、ジャイナ教もまた、 仏陀がパーリ経典《布咤婆楼経》において 述べたとおりの、無形の形体ーー意識ーーを 否定しているのと同じく、粗い肉体と霊体を 否定していることが…