南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

翻訳番外編ーLedī Sayādaw

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 緬甸の大禅師 Ledī Sayādaw(遷化) の著書「37道品導引手冊」の中に、修行者に参考になりそうな文言がありましたので、翻訳して紹介します。 「仏陀は、このように述べる: 布施の行為を軽視する人、または布施…

「身念処」2-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2-2 実修 この種の修法は、各種の姿勢を念住する:それはすなわち、行・住・坐・臥である。 例えば、座っている時の「三心」--精進、正念、正知ーーは、座っている姿勢を覚照しなければならないし、また、それ…

是誰庵のひとやすみ~ノジマライオン

先日、意を決して炊飯器を一個、購入しました。 インターネットで口コミ・評価を調べ、最安値を調べ、3合炊きの炊飯器を一個(ついでに、季節外れでアウトレットになっていたアイスクリーム製造機も一個)、Web上で、注文しました。 普通は、折り返しで「あ…

「身念処」2-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2-1-3 中道 中道は、好き、嫌い、執着または嫌悪(+の感情を)取り除くか、または止息したものである。 中道は、この修法にとっては、非常に重要である。 もし、あなたが正念正知を具足して、<今・ここ>において…

「身念処」2-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2-1 修行要点 2-1-1 四種類の姿勢 我々は、四種類の姿勢において、身・心を観照する: それは、行・住・坐・臥である。 《大念処経》の綱要において、四種類の基本的なまたは、主要な姿勢(+について述べられて…

「身念処」2-1(82/203)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第二章 実修 永い間、以下の事柄に執着してきた:これは私の、これは私、これは私自身。 (相応部ーニカーヤ) 臘月三十は、もうすぐにやってくる。 その時、あなたが行住坐臥(+歩くいていようが、立っていよう…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (三帰依の解釈) (仏陀の解説) 今ここにおいて、言われている所の: 「仏陀に関する解説、帰依の行い、及び行(帰依)者」(の解説を以下の通り行う:)ーーこの中において、すでに体験・証悟した所の、すでに…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 我々は、破、未破、果、及び所応行(帰依の対象)について、以下に、解説する: 『法に帰依』等の二種は、ここにおいて、知られる方法で説明する。 順序の原因となった事柄を、説明し、確定する。 かつ、比喩で以…

「身念処」1-87(81/203)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (P80、図の説明につき、全頁省略。p81上段、同、省略) ( ↓ p81、下段) 愛(=渇愛)の結果(が輪廻である事)を理解したならば、諸法は、常で、生・滅異変しないという妄執のある人、また貪欲心が非常に重い…

「身念処」1-86

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-12-2 縁起の法における各方面からの分析 我々は、7つの角度から、縁起の法を研究する事ができる: 例えば、因と縁の鎖、幾世代において、幾重にも重なる因果等等。 ここでは、その中の何種類かを研究する: 1…

「身念処」1-85

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-12-1 如何にして12縁起でもって邪見を破るのか? 12縁起の真相を理解したならば、智慧の力でもって、顛倒妄想を打ち破る事ができる。 1、無明: <無明の縁によって行あり>を理解する事によって、(+己より…

「身念処」1-84

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ある時、アーナンダは、縁起の法がどれほど良いものであるか、どれほど理解し易いものであるか、仏陀に告げて言った時。 「並非如此(そうではない)」 仏陀は述べる: 「縁起の法は、玄妙であり、かつ、奥深く、…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (因と縁の浄化、すなわち説明) その始まりは、以下の通りである: 「私は仏に帰依します、 私は法に帰依します、 私はサンガに帰依します。」 以下は当該の義を解説する方法の本母(=根本で)ある: 「誰によ…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> そして、「諸々の小さな(聖典)」は、〈帰依〉、 〈学処〉、〈32行相〉、〈問童子文〉、《吉祥経》、 《宝経》、《牆外(経)》、《伏蔵(経)》、《慈経》という、九つの部分で構成された《小誦(Khuddakapāṭha…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> なぜ、これを「《小部》」と呼ぶのか? 諸々の多くの小さな法の蘊(=集まり)の群衆とその住処であるが故に。 群衆とその住処という意味において「部(ニカーヤ)」と言う。 如説(注7):「比丘たちよ。私はそ…

「身念処」1-83

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> a)無明から老・死までが、一つの縁起の法である。 その後の、「憂い、悲しみ、苦悩」等々は、踵を接して、その直後に続くものである。 上記は、生が有れば、苦がある事を表しているーー第一聖諦。 この種の、現…

是誰庵のひとやすみ~無明縁行の<行>について

仏教というのは難しい。 ゴータマ仏陀の悟りの内容自体が難しいし、2600年前のインドで語られた事柄故に、言葉(パーリ語)の解釈も難しい(パーリ語が死語である事も、ダンマの理解を妨げる)。 仏教で最も重要な「12縁起」も、私にとって、分かったような…

「身念処」1-82

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1、無明を縁として、行(注1)あり。 2、行を縁として、識あり。 3、識を縁として、名色あり。 4、名色を縁として、六入あり。 5、六入を縁として、触あり。 6、触を縁として、受あり。 7、受を縁として…

「身念処」1-81

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-12 12因縁(縁起) 12縁起は、一連に繋がった因果である。 それは12個の環によって、円形の鎖が形成されているものである。 またそれは、生死輪廻の因縁関係を説明しているものでもある。 12縁起とは、因と果の…

「身念処」1-80

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 修行においては、堅実を(+虚構と)見破らなければならないが、そのためには、身・心を観照しなければならない(身・心の識別のために、特殊なチャレンジをする必要は無い)。 修行者は「座っている色身を知って…

「身念処」1-79

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 修行者は「如理作意」でもって、身と心を分けなければならない。 このような(+視点を持って)初めて、(+身と心が)一つの個体には見えなくなる、という訳である。 もし、「如理作意」がないのであれば、我々…

是誰庵のひとやすみ~現在法

「身念処」の<1-78>を翻訳していましたら「現在法」という言葉に、出くわしました。 私がいままで、喉まで出かかっていて、どう言えばよいのか、よく分からなかった言葉です。 そうそう、これこれ「現在法」。 私達は、ゴータマ仏陀の教えを学ぶと、目が…

「身念処」1-78

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 実相を体験・体得した後、厭離の心は生起する。その為、煩悩は弱くなり、気力、意志力は更に強くなる。 その後において、四念処智を成就して、五蘊に対する貪と瞋恚を断じ除くことができる。 3)堅実。身・心の…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」  2‐5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (注6) 1、律蔵ーー《経分別 (またの名を比丘分別または大分別と言う)》、 《比丘尼分別》、《大品》、《小品》と《付随》 の五つの部分が含まれる。 2、《経蔵》ーー五部(ニカーヤ)が含まれる。 すなわち…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (《諸々の小聖典》の範囲の確定) この中において、「私は将に、いくつかの諸々の小さい(聖典)の意味について」と(+私が)述べている事に関して、先に「諸々の小さい(聖典)」(の範囲)を確定した後、その…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「(+私は)三宝ーー最上の礼敬をされるべき者に礼敬しました。私は将に、以下の事を解説しますーーいくつかの諸々の小さい(聖典の)意味。諸々の小さい(聖典は)奥深く、ある種のものは、解説するのさえ、難…

是誰庵のひとやすみ~仏教は心の中に

私はチャキチャキの、南伝の仏教徒です。 遠く緬甸(ミャンマー)に行って、パオ僧院で出家までしちゃいました(笑)。 今は、九州の片田舎に住んでいますが、頼まれてダンマ・トークをする事があります。 お布施を頂いた時は、 Idaṃ me puññaṃ nibānassa pa…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」 2-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (本書序論) 「私は仏に帰依します、 私は法に帰依します、 私はサンガに帰依します」 (Buddhṃ sraṇaṃ gacchāmi, Dhammaṃ sraṇaṃ gacchāmi, Saṅghaṃ sraṇaṃ gacchāmi.)。 上記の、この帰依に関する開示は、…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第二章 三帰依の内容ーーパーリ聖典の解釈 一、《小誦経》の註釈 Namo tassa Bhagavato Arahato Sammā sambuddhassa. 彼の世尊、阿羅漢、正自覚者を礼敬 (=敬い礼拝する事、以下同様)します。 Paramattajotikā…

是誰庵のひとやすみ~中道と中庸

先日、仏教思想を下敷きに小説を書かれる事で有名な作家の本を読んでいましたら、「中道」という言葉と、その解説に出会いました。 彼はゴータマ仏陀の「中道」を、ほぼ「中庸」と同じ意味合いで使っています。 私は「ああ、またか」と思いました。 日本では…