南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(3-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀の正法によると、律に基づき、出家して修行する南伝の出家者は、戒に依り、その抑制(+力によって)、邪命を習行(=習慣的な行為)する事を避けるのである。 心の聖潔は、世間から出離するもので、八聖道と…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-9)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 以上の事から、我々は以下のような総括をする事ができる: 一人の出家者が、本物であるか偽者であるかを見分ける、非常に単純な方法は、 <比丘に金銭をあげてはならない> である。 先の述べた幾つかの理由によ…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-8)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ●南伝の出家者の戒律において、出家者は金銭を受け取れないだけでなく、身体的にも、どのような金銭をも、所持することができないし、また金銭、財物を、己自ら処理したり、使用したり、支配したり、管理したりす…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-7)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 以下の場合は例外とする: 病気の為、南伝の出家者が午後、薬、砂糖(飴)、油、冷水、熱湯を乞いに来るのは構わない。 真正な出家者(特に、森や荒野に住んでいる出家者)は、午後に俗世間に来て、自分の為、ま…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-6)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ●(+出家者が)托鉢をする時、お金を受け取る事が出来ない以外に、真正で如法な南伝の出家者は、どのような目的であっても、己の為、他人の為、群衆の為、サンガの為、何かの道場や寺院の為、仏教団体の為、また…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-5)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 否定できないのは、出家者が完全に、上に述べた所の、すべての托鉢の振舞い・行いを満足させたとしても、我々は、彼が真正の出家者だと、自信をもって判断できない、という点である。 偽比丘の集団は、非常に専門…

是誰庵のひとやすみ~ホワイト・ソース

お正月には息子が我が庵に来る予定です。 彼は外食が嫌いで「普通のごはんが食べたい」というので、おでんやカレーなどを、準備しています。 私は日本生まれの台湾人三世で、洋食は苦手ですが、息子にグラタンを食べさせてあげようと思い、今朝、台所でホワ…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ●南伝の出家者は、托鉢の時、行儀(=行い)に対して、非常に注意を払わねばならない。 歩く時も、供養を受ける時も、視線を下に向ける。 歩く時はゆっくりと歩き、高い声で笑わない、身体を揺らさない、肩を揺ら…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-3)(15/70)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 如何にして偽比丘を見分けるか 仏陀が涅槃して2000余年の今日、僧侶が外出して、家々毎に托鉢する風景は、いまなお見ることができる。 緬甸(ミャンマー)、タイ、スリランカなどの地では、その光景を毎日見るこ…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 南伝の出家者は、なぜ托鉢しなければならないのか? 物質文明が発達した今日においても、上座部南伝の出家者は、仏陀ご在世の当時に制定された行動規範に基づいて、三衣一鉢の生活を送っており、家々を回って、托…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> マレーシアの仏教 マレーシアの仏教は、北伝仏教と南伝仏教の、二大体系に分かれる。 北伝仏教は主に”大乗仏教”または”菩薩乗仏教”と呼ばれ、その依拠する経典は、古代インドの雅語梵文(Sanskrit)を用いて書か…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(1‐4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 実際、偽比丘による金儲けという社会問題を杜絶させる為には、正信の仏教教団と法的機関が”偽者を打つ”という努力を続ける以外に、最も根本的な方法として、その元を断つ必要があり、それはすなわち、広大な民衆…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(1‐3)(8/70)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 偽比丘にとって、マレーシアは大いなる「托鉢天国」である。 この種の紊乱現象は、主に、不法の輩が、大部分の民衆が、仏教の教義と出家者の戒律について一知半解な事、また、迷信を信じる人の中で、ある種の儀式…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(1-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 偽比丘の見分け方及び護持指南 まえがき 近年の社会は、不法の分子が、仏教の出家と自称して、あちらこちらに出没して、詐欺行為を繰り返す事が日増しに流行し、一つの社会的問題にまで発展している。 特に、マレ…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(1-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「偽比丘」の見分け方 序説 釈迦牟尼仏が2500年の前において、真理に覚悟(=覚醒)した。 その時、この偉大な真理を更に広く、更に長く伝わるようにとの願いから、サンガを成立させ、また広大な在家信徒を受け入…

「身念処」2-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 精進、正念、正知の三者は、身・心の観照の時、同時に運用する。 もし、正念が強すぎる時、正知は弱くなる為、修行者はこの点に注意を払わなければならない。 この種の洞察力は、覚察力(=察知力)と言い、この…

是誰庵のひとやすみ~比丘の出家証

今、巷ではマハーカルナー禅師のパーラージカ(戒律違反、疑惑)が大きな問題になっています。 先日、タイのアチャン・チャーの著書「以法為贈礼」(法の贈り物)を読んでいましたら、p7にこんな事が書かれていました。 <出家者が我が寺院に短期、長期に滞…

是誰庵のひとやすみ~Neyyaについて

随分前ですが、パオ・セヤドーの著書を翻訳していて <Neyya>という言葉に出会いました。 日本語・漢語に訳すと被引導者、所引導者となり、その意味内容は、現代では、ダンマを聞いただけで(一瞬にして)悟る人はすでにいなく、皆、ダンマをよくよく学ばね…

是誰庵のひとやすみ~偽比丘の見分け方

私は英語ができませんので、Web上で仏教関連の資料を探す時は、中国語で書かれたものを探す事が多いです。 IT上で、中国語で発表されたものは、テラワーダも、大乗も、チベット仏教も、割と充実しています。中国人(台湾人、海外に住む華人を含む)は昔から…

是誰庵のひとやすみ~冥途の土産

私も、あと一年で古希を迎えます。 それに10を足すと80歳! え~~!私でも80歳になる日が来るのだ!(それまでの10年閒、大病や老衰、事故がなければ、ですが) 不思議ですね~~80歳! 70歳は不思議でないけど、自分が80歳になるのが、想像つかない(笑)…

是誰庵のひとやすみ~籠城中

今日は寒いです。 木枯らし吹いて、今にも小雪が・・・。 薪ストーブ焚いて、背中には石油ストーブ、いざという時は、電気カーペット・・・いやはや、簡素を旨とする Sayalay(僧尼)にしては、贅沢すぎますね(笑)。 近隣の知人、みなさん、この盆地が(近…

「テラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」 2-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> その上また、ここにおいては、ちょうど世間では、得達(avagantā、了知)である時は「得達者」と言い; 同様に「已に諸諦を覚悟(=覚醒)した者」は仏陀を意味する。 例えば、葉を枯らす風を「葉枯者」といい; …

「身念処」2-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 同様の方法で、座る色身、歩く色身など等を観照する。 これらの色身を観照する時、コントロールが不可能な人間について、それを注視するかの如くの態度で実践しなければならない。 色身は、所縁であり、vipassana…

是誰庵のひとやすみ~『智慧の光』の読み方

私は1998年に、台湾でパオ・セヤドー著『智慧之光』(中国語版)を手に入れて後、当該書籍の日本語訳に取り組み、その後20年来、『菩提資糧』など、パオ・セヤドーの他の著作、テラワーダ系の、私が良い思った比丘尊者、メーチ(尼僧)の方々の著作も、何点…

是誰庵のひとやすみ~捨覚支について

先日、IT上で、台湾の仏教団体のWebを見ていましたら、<捨覚支>に関する説明が、載っていました。 ざっと申し上げますと、捨覚支の実践とは、 社会で起こっている色々な出来事は、結局は、己自身が5根を通して情報を受け取って、ああでもない、こうでもな…

是誰庵のひとやすみ~年末年始のお知らせ

師走も半ば、法師である私も、なかなかどうして、走っています。 とまぁ、これは悪い冗談ですが、それでもこれから先、年末になると値上がりしそうな商品は、いまからちょこちょこ買いだめしています(笑)。 1月は二週間程、タイに行ってきます。 2月と3月…

是誰庵のひとやすみ~在家の修行と出家の修行

今回、私のブログで「マハーシ瞑想」について述べましたので、その続きとして、一言。 30年ほど前でしょうか? 日本でマハーシ瞑想が流行りました。 坐禅しながら、己の腹の起伏を見て(=気づいて、以下同様)、または歩きながら足の上げ下ろしを見て、気づ…

rubyさんのコメントへの返信

rubyさんへ。 私のブログ<是誰庵のひとやすみ~再びvipassanaについて>をご閲覧の上、コメントを頂き、ありがとうございます。 私は20年前、緬甸(ミャンマー)のモーラミャインにあるパオ僧院本山で修行した時に、本山を抜け出してヤンゴンに出かけて、マハ…

是誰庵のひとやすみ~再び vipassanaについて    ~パーリ語マジック~

日本では、 vipassana という言葉が一人歩きをして、 非常に混乱しているように思います。 私たちが安般念(出入息の瞑想)をして、意識が少し深くなる時、例えば遍作定とか近行定とかの時点で、身体の色々な変化が<見えて>きたりします。 これまで、のん…

是誰庵のひとやすみ~蛇の子、王の子、子供の沙弥

私は若い頃、タイの森林寺院で修行した事があります。 その時に聞いた一口話。 <蛇の子、王の子、子供の沙弥には気を付けて> そのココロは・・・。 蛇の子供は小さくて、頼りない感じがします。 捉まえて、尻尾を持ってふり回して、おもちゃにしてやろうか…