Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳文

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(4‐1)   

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 付録1 南伝出家者托鉢への布施・供養について どのような時でも、どのような場所においても、南伝の袈裟を着た出家者が托鉢するのを見て、何か布施か供養をしたいと思った時、決して、現金を鉢の中にいれてはな…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(3-8)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 兜率天サンガから居士団体への提案 1、携帯を使って、偽比丘の情報を広報する。 2、実情を新聞に載せて、大衆を教育する。 3、この本の内容を、メールであちこちに転送する。 これは一種の ”つなひき”、戦いで…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(3-6)(30/70)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀は《増支部・七集・火蘊譬喩経》の中で、以下のような比喩を、述べた事がある。 「比丘たちよ。 私はあなた方に告げる。 一人の破戒した、悪性の、己の為した事柄を隠蔽する、非沙門でありながら、沙門である…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(3-5)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 後記 偽比丘が、マレーシアの社会において詐欺を行う事象には、すでに警鐘が鳴らされた。 民衆の幸福の為に、また、偽比丘への憐憫から、サンガは、この事に無関心ではいられないし、何事もなかったように、見て…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(3-4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 在家の信徒衆は、出家の修行者に、衣服、飲料・食物、住居、医薬品などの、日常生活における必需品を供養・布施して、物質的な方面において、出家者を支援する。 そして、広大な信徒衆への謝恩として、仏陀は、出…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-8)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ●南伝の出家者の戒律において、出家者は金銭を受け取れないだけでなく、身体的にも、どのような金銭をも、所持することができないし、また金銭、財物を、己自ら処理したり、使用したり、支配したり、管理したりす…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> マレーシアの仏教 マレーシアの仏教は、北伝仏教と南伝仏教の、二大体系に分かれる。 北伝仏教は主に”大乗仏教”または”菩薩乗仏教”と呼ばれ、その依拠する経典は、古代インドの雅語梵文(Sanskrit)を用いて書か…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(1-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「偽比丘」の見分け方 序説 釈迦牟尼仏が2500年の前において、真理に覚悟(=覚醒)した。 その時、この偉大な真理を更に広く、更に長く伝わるようにとの願いから、サンガを成立させ、また広大な在家信徒を受け入…

「身念処」2-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2-1-3 中道 中道は、好き、嫌い、執着または嫌悪(+の感情を)取り除くか、または止息したものである。 中道は、この修法にとっては、非常に重要である。 もし、あなたが正念正知を具足して、<今・ここ>において…

「身念処」2-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2-1 修行要点 2-1-1 四種類の姿勢 我々は、四種類の姿勢において、身・心を観照する: それは、行・住・坐・臥である。 《大念処経》の綱要において、四種類の基本的なまたは、主要な姿勢(+について述べられて…

「身念処」2-1(82/203)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第二章 実修 永い間、以下の事柄に執着してきた:これは私の、これは私、これは私自身。 (相応部ーニカーヤ) 臘月三十は、もうすぐにやってくる。 その時、あなたが行住坐臥(+歩くいていようが、立っていよう…

「身念処」1-87(81/203)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (P80、図の説明につき、全頁省略。p81上段、同、省略) ( ↓ p81、下段) 愛(=渇愛)の結果(が輪廻である事)を理解したならば、諸法は、常で、生・滅異変しないという妄執のある人、また貪欲心が非常に重い…

「身念処」1-85

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-12-1 如何にして12縁起でもって邪見を破るのか? 12縁起の真相を理解したならば、智慧の力でもって、顛倒妄想を打ち破る事ができる。 1、無明: <無明の縁によって行あり>を理解する事によって、(+己より…

「身念処」1-84

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ある時、アーナンダは、縁起の法がどれほど良いものであるか、どれほど理解し易いものであるか、仏陀に告げて言った時。 「並非如此(そうではない)」 仏陀は述べる: 「縁起の法は、玄妙であり、かつ、奥深く、…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> そして、「諸々の小さな(聖典)」は、〈帰依〉、 〈学処〉、〈32行相〉、〈問童子文〉、《吉祥経》、 《宝経》、《牆外(経)》、《伏蔵(経)》、《慈経》という、九つの部分で構成された《小誦(Khuddakapāṭha…

「身念処」1-83

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> a)無明から老・死までが、一つの縁起の法である。 その後の、「憂い、悲しみ、苦悩」等々は、踵を接して、その直後に続くものである。 上記は、生が有れば、苦がある事を表しているーー第一聖諦。 この種の、現…

「身念処」1-82

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1、無明を縁として、行(注1)あり。 2、行を縁として、識あり。 3、識を縁として、名色あり。 4、名色を縁として、六入あり。 5、六入を縁として、触あり。 6、触を縁として、受あり。 7、受を縁として…

「身念処」1-81

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-12 12因縁(縁起) 12縁起は、一連に繋がった因果である。 それは12個の環によって、円形の鎖が形成されているものである。 またそれは、生死輪廻の因縁関係を説明しているものでもある。 12縁起とは、因と果の…

「身念処」1-80

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 修行においては、堅実を(+虚構と)見破らなければならないが、そのためには、身・心を観照しなければならない(身・心の識別のために、特殊なチャレンジをする必要は無い)。 修行者は「座っている色身を知って…

「身念処」1-79

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 修行者は「如理作意」でもって、身と心を分けなければならない。 このような(+視点を持って)初めて、(+身と心が)一つの個体には見えなくなる、という訳である。 もし、「如理作意」がないのであれば、我々…

「身念処」1-78

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 実相を体験・体得した後、厭離の心は生起する。その為、煩悩は弱くなり、気力、意志力は更に強くなる。 その後において、四念処智を成就して、五蘊に対する貪と瞋恚を断じ除くことができる。 3)堅実。身・心の…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (《諸々の小聖典》の範囲の確定) この中において、「私は将に、いくつかの諸々の小さい(聖典)の意味について」と(+私が)述べている事に関して、先に「諸々の小さい(聖典)」(の範囲)を確定した後、その…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第二章 三帰依の内容ーーパーリ聖典の解釈 一、《小誦経》の註釈 Namo tassa Bhagavato Arahato Sammā sambuddhassa. 彼の世尊、阿羅漢、正自覚者を礼敬 (=敬い礼拝する事、以下同様)します。 Paramattajotikā…

「身念処」1-77

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> もし修行が、智慧(内観)でもって苦を体験・証悟するのではないのならば、それは正しい修法ではないし、中道法(すなわち、八聖道)ではない。 唯一、苦を体験・証悟した時にのみ、あなたは輪廻を離脱できる――と…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 四、在家10戒(Gahaṭṭha-dasasīla) 三帰依と在家10戒の求受 Ahaṃ,bhante, tisaraṇena saddhiṃ gahaṭṭha-dasasīlaṃ dhammaṃ yācāmi, anuggahaṃ katvā sīlaṃ detha, bhante. (尊者、私は三帰依と在家10戒の法…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」 1‐10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 三帰依 (<1-5>既出により省略)。 八戒 ☆比丘が一条(または一句)念じる毎に、受戒者は続けて念ずる: 1、Pāṇātipātā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi. (私は殺生を離れる学処を受持します) 2、Adinnād…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-9(10/228 )

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二、布薩八支戒 (Aṭṭhaṅga-uposathasīla) 三帰依と布薩八戒の法の求受 Ahaṃ, bhante, tisaraṇena saha aṭṭhaṅga samannāgataṃ uposathasīlaṃ dhammaṃ yācāmi, anuggahaṃ katvā sīlaṃ detha me, bhante. (尊…

「身念処」1-76(67/203)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 明覚(=明確な覚醒心)の作用が生起する時、前の姿勢の苦苦を、非常に容易に体験・体得する事ができる。 ただし、行苦(新しい姿勢に転換した後にも、まだ残る苦)は、非常に体験・会得しにくい――というのも、新…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 発願と回向 Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā’vaham hotu. (私のこの功徳によって、諸々の漏が尽きるよう導き至れる事を願います) Idaṃ me sīlaṃ nibānassa paccayo hotu. (私がこの戒を持する事をもって、涅槃の縁…

「身念処」1-75

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 明覚(=明瞭な覚醒心)でもって、各種の姿勢を継続して観照する時、如理作意でもって煩悩を防止して、内心に好き、嫌い(+の感情)を生起せしめないようにしなければならない。 このようにして初めて、修行者は…