2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二、色と色 我々の身体は、四大ー地・水・火・風から成り立っている。 地・水・火・風は相互に支え合い、かつ、同時に生起する。 それらは、どのようにして、お互いに支え合っているのか? たとえば、地は、他の…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) ただし、もし、これらの人々が、「正念」の中のどれか一つの項目において、たとえば、「出入息念」において安立する事ができたならば、そし…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) これらの未了の修行者は、無知が原因で、禅の修行を通して、五力を開発する事ができない。 そして、その為に、仏法の初歩的段階、たとえば…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) しかし、一人の、(+牛飼いの専門知識を持つ)巧みな主人は、この牛王を、その他の牡牛と分離して、牛王を特別な牛舎に入れる。 この主人…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「如意足」、「根」、「力」等の機能・働きを理解しない修行者は、なぜ、彼らの「欲望」が脆弱であるのか、また、それら(+に起因する問題…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) ある種の人々は、前の三種類の力は非常に強い。故に、「身念住」において安立する事ができる。 彼らは、呼気・吸気の観察や、身体の骨格を…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> どのように理解すれば良いのか? 舌門心路過程を例にして説明する。 舌は、味を所縁として取る。 味が、舌浄色(舌根)を撃つとき、舌識が生起する。 舌識の生起は、所縁縁を通して、(+生起するの)である。 舌…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) ここにおいて、「五力」と相対応する所の、五種類の不善法の意味・意義を説いた。 この五種類の、相対応する不善法とは: 一、貪欲。 二、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「念」の反語は「失念」(「妄念」とも)の悪業である。 「失念」とは、「禅定」(たとえば「身念処」)または「直観(=vipassana)」の中…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 現今の世界において、この種の「精進」の領域は、非常に曖昧になってしまった。 今日、比丘は「身見」「悪行」に落ち込んでいる事に気が付…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 6、俱生縁(Sahajātapaccayo) この縁は、縁法が生じる時に、縁生法をして、それ(=縁法)と同時に生起せしめる縁である。 これは、灯火を比喩として述べることができる。 灯の灯がついた時、それ(灯)は光線…
先日のブログで、バラの新種(改良種)は、値段が高い割に弱いと書きました。 特にフランス語で、コジャレタ名前のついたのは、そんな感じがします。 ドイツは、なんでも質実剛健です。 この<アウグスタ・ルイーゼ>も、ドイツな感じです(ドイツ語分かりま…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「精進」の二種類の形態の中で、「自然精進」とは、修行による開発の敬虔を経ないで、機縁に従っていて、怠慢である事があり、かつ布施、持…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) この四種類の修法は「信」を構成する。 現代において、「信」という、この偉大な国王は、隠匿的で、非常に旗色が悪い。今日、衆生は皆、物…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 5、等無間縁(samanantarapaccayo) 等無間縁は、無間縁と同じである。 まったく同じであるのに、なぜ同じことを重複するのか? 仏陀は経を説明する時、衆生の好みに合わせる事が多い。 たとえば、心(citta)、…
上記バラの写真、自慢したいとか、特に意味はありません(笑)。 時々、ブログに何か写真をUPしないと、UPの仕方が分からなくなりますので、久々の練習です。 このバラは、<ハッピー・マザーズデー>と言い、覆輪(芯が黄色、縁がオレンジ)で、蔓バラです…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 第六章 五力(balāni) 「力」の定義とは:「障礙に対応するが故に、『力』と言う」。 パーリ聖典では、以下のように言う: 「どのような時…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) もし、はっきりと明確に苦諦を察知・覚知する事ができたならば、当然の事に、その他の三諦もまた、はっきりと察知することができる。 「四…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 唯一、一人の修行者が、阿羅漢果を証得した時にのみ、全面的に「苦」の性質を体験・証悟する。 故に、長時間の精進・努力の後、直観(=vip…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「一人の修行者は、どこにおいて『慧根』を探すべきか?『四聖諦』において探すべきである。(《相応部》大品・根相応第4、応観第8経)。 …
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 次に、生命における最初の意門心路過程が生起するが、それは己自身の新しい生命を所縁として、新しい生命に執着する。 梵天、天界、人界、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「一人の修行者は、どこにおいて『定根』を探し求めるべきか?『四禅定』の中において探し求めるべきである。」(《相応部》大品・根相応第…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「一人の修行者は、どこにおいて『念根』を探し求めるのか?『四念住』の四種類の構成要素において、探し求めねばならない。」(《相応部》…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 輪廻の過程において、この一生の生死から、次の生の生死まで、その過程は、常に無間縁であると言える。 輪廻の過程を見てみよう。 この一生において、我々は、非常に多くの善業を実践した: 布施、持戒、聞経、功…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「一人の修行者は、『精進根』をどこにおいて、探せばよいであろうか? 『正勤』の四種類の構成要素において、探すべきである。(《相応部…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「世間禅定の基礎ーー戒清浄」は「活命戒」(八関斎戒)を言う。 この種の戒・律は、一人の修行者を、今生において、「世間禅定」を証得せ…
題は「坊ガツルまで」ですが、実際は、坊ガツルの入口まで・・・です(笑) 朝起きて、「37道品ハンドブック」の翻訳を済ませて、さて、登山に。 目的地は<坊ガツル湿原> 九時に車を出して、到着したのが10時。 いや~、もうすでに、暑い。 私の住居地は寒…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「仏陀に対して、絶対的な浄信を具備する」(《中部》第9《正見経》) パーリ経典の中で、この部分にある、aveccapasādaは、「不動揺なる信…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 一人の修行者は、どこに向かって『信根』を探すべきか? 『ソータパナ果』の四種類の構成要素において、探すべきである。(《相応部》大品…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「定根」と「慧根」は、界定に相当する(原文不明瞭につき、意訳)。 「四念処」の修行の対象において、たとえば、呼気・吸気に安住する時…