Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

《Vipassanāハンドブック》16-1(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (一六)四種類の相色 相色(lakkaṇa-rūpa)は、明確な特徴、特色を指し、これらの特色を借りて、我々は一切の色法、心法は無常である事をしる。 四種の相色がある: 一、積集色(upacara-rūpas): 集成し、持続…

般若の独り言~猫と鼠

タイの森林僧院で教わった楽しいダンマ。 それは〈猫と鼠の物語〉。 あなたの正念正知、どんな具合でしょうか? 日常生活の中で、うまく活用できていますでしょうか? 正念は「業処を忘れない事」です。 業処は、あなたの修行の手段、たとえば安般念(出入息…

般若の独り言~芸々衆生

中国語の仏教書を翻訳していると「芸々衆生」という言葉が出てきます。 特に、今翻訳している《Vipassanāハンドブック》では、度々出てきます。 直訳的な意味は「多種多様な衆生」ですが、「十人十色」とも、訳せそうです。 私は子供の時から、仏教が好きで…

《Vipassanāハンドブック》14、15(F)(35/80)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (一四)二種の表色 表色(viññati-rūpa)とはコミニケーションの方式か、または願い、意見または目的を表現する所の符号であるか、または人と人の間で、相互に理解するための符号である。 一、身表(kāya-viññat…

《Vipassanāハンドブック》12、13(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (一二)三種の色 一、命色(jīvita-rūpa) Jīvita-rūpa とは生命を指す。 言い換えれば、生命力である。 その意味は、業力によって生じた所の、色身の生命力を支配して、色身の新鮮で活きている様を保持する事;…

《Vipassanāハンドブック》10、11(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (十)六根 根、識が生じ、生起し、発展する所の所在地であり、またその依止処を言う。 1、眼根: 眼球の中の知覚器官で、眼識はここにおいて生じる。眼識とは、各種の異なる色彩、外観、形状などなどを観じ、見…

《Vipassanāハンドブック》9-1(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (九)四大種 ここにおいて、大種とは、大いに生長するものを言う。 1、地: 拡大(extension)する元素の事を言う。 すなわち、物質の基礎または基本原理である。 地大の特質は、多くの異なるレベルがあり、た…

《Vipassanāハンドブック》8-10(F)(30/80)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 10、身軽安: 心所が、沈着・冷静である事。 11、心軽安: 心が沈着であり、静かである事。 心所が静止の状態にあるため、冷静であり、故にこの時の心所に、三悪法がない。 三悪法は、人をして、善の行いを嫌悪せ…

《Vipassanāハンドブック》8-9(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (四)善心所 1、無貪: 心が公正無私である事。また出離界、無貪欲(anabhijjhā)とも言う。 2、無瞋: 倫理学的には友善、または純潔な心を言う。 無恚(abyāpāda)、慈(mettā)とも言う。 3、無痴: 物事…

《Vipassanāハンドブック》8-8(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 6、嫉: 嫉妬または(+相手を)認めない事。 または、相手を褒めることが出来ない事。 または、他人の成功を祝福できない事。 嫉は、他者を否定したがる性格、惰性の事。 7、慳: 利己的。吝嗇。他人と分け合っ…

《Vipassanāハンドブック》8-7(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (三)不善心所 1、貪: 倫理学的な意味においては、貪心を言う。 心理学的には、心が物に粘着する事を言う。 ある時には、渇愛(taṇhā)とも、 ある時には、貪欲(abhijjā)とも、 ある時には、欲(kāma)とも…

《Vipassanāハンドブック》8-6(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (二)別境心所 1、尋: 運用を開始する事。 その機能は、心が所縁に標準を合わせる事。 尋はまた、思惟と言うこともできる。 二種の思惟がある。 正思惟と邪思惟である。 2、伺: 心が継続して運用される事。 …

《Vipassanāハンドブック》8-5(F)(25/80)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (一)遍行心所 1、触: 触とは所縁に接触するという意味である。 その事によって、好ましい、または好ましくない心境が生じる。 その為に、それは、心所を生じせしめる主要な要因となる。もし「触」がないので…

《Vipassanāハンドブック》8-4(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 3、14種類の不善心所(pāpa-hati)。 すなわち: 貪(lobha)、瞋(dosa)、痴(moha)、 邪見(diṭṭhi)、慢(māna)、嫉(issā)、 慳(macchariya)、悪作(kukkucca)、 無慙(ahirika)、無愧(anottappa)…

《Vipassanāハンドブック》8-3(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 以下の13種類の心所は、混合心所(vimissaka)とも言い、また「非道徳」心所と、訳すことができる。 というのも、それらは、善と不善の心心所によって構成されているが故に。 1、七種類の遍行心所(sabba cittak…

《Vipassanāハンドブック》8-2(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 意識はまた、四種類に分類できる: 欲界識、色界識、無色界識、出世間識。 (1)欲界識: この四種類の中で、欲界識とは、欲界において、欲貪を擁する衆生の識を指す。 欲界識は、また、四種類に分類することが…

《Vipassanāハンドブック》8-1(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (八)54種類の心法 54種類の心法がある。すなわち: 1、心または識。 2、心所:心所にはその付随物があり、それは、52種類の心所である。 3、涅槃:涅槃を証悟すると、生死輪廻を脱することができる。 (「以…

般若の独り言~指導者の見つけ方

題は<指導者の見つけ方>ですが、修行の心得のようなものを書いてみます。 まず、自分は緬甸のパオ・メソッドが気に入ったとか、 タイのアチャン・チャー系が気に入ったとか、好きな修行方法を見つけます。 その中で、何人かの指導者に会って、話を聞きます…

般若の独り言~質問:パオのソータパナの人数は?

ブログの読者の方から、「パオのソータパナ(預流。 初果)の方々は、一体どれくらいいるのか?」 というご質問を受けました。 人数を特定するのは、非常に難しいです。 状況としては、20年前、私が緬甸の東部モーラミャインのパオの本山で修行していた時の…

《Vipassanāハンドブック》7-1(F)(20/80)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 今、我々は、真諦の立場から、物事を分析してみよう。 現象界において、上に述べた如く、色法と心法の二種類があり、前者(色法)は28種類ある。すなわち: 一、四大種。すなわち: 1、地大(個体の元素) 2、…

《Vipassanāハンドブック》6-2(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 同様に、もう一人の人間が: 「真諦によれば、個人は存在しえない。個体の生命も存在していない」と言えば、聞いている者は、この種の言い方を、否定してはならない。 というのも、これは真諦であり、現象界はた…

《Vipassanāハンドブック》6-1(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (六)二種類の諦 Saccā は、諦または真理を指す。 諦は、一種、堅固な信であり、またはある事柄の固有の本質を言う。 諦には二種類ある: すなわち、 1、俗諦(sammut-saccā):世俗のまたは相対的な真理。 2…

《Vipassanāハンドブック》5-7(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 今、我々は、二種類の趣について、検討したい。 一人の人間が、木から落ちて来る時、それは椰子の実が落ちてくる様に似ている。 というのも、彼は、空中を飛翔する事の出来る翼を持っていないが故に。 もっとはっ…

般若の独り言~嫉妬と承認欲求

私はもうすぐ70歳、人生もそろそろ終盤。 私の人生は、幸せであったろうか? 勿論、Yes。 とりあえず、棺の蓋を覆う前ではあるけれど。 人生の早い内に、大好きな仏法に出会えた のだから、幸せこの上ない。 では具体的に、何が私に、幸せを齎した だろうか…

《Vipassanāハンドブック》5-6(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この経典から分かる事は、なぜ悲惨な世界に生まれる衆生がいて、彼らはなぜ、人類の生活を過ごすことができないのか、という疑問に関して、その答えは、彼らは、上に向かって望むという事がなく、下に向かって堕…

《Vipassanāハンドブック》5-5(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この時、仏陀は言った: 「比丘たちよ! この種の不可思議な事柄は、発生するのが、最も難しい、という訳ではない。 もっと難しい事柄、百倍、千倍も難しい事柄がありますが、それはあなた方の知識の領域を、越え…

般若の独り言~「四角号碼」という名の辞書

先日、長らく使っていた中日電子辞書が、壊れてしまいました。キーを押しても、液晶に文字の表示がありません。 9月には、一連の翻訳を終結させますから、新しい辞書を買うのもどうかと思い、昔使っていた「四角号碼」という辞書を引っ張り出して使っていま…

《Vipassanāハンドブック》5-4(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《盲亀経》は、以下の様に書かれている。 ある時、仏陀が弟子に言った: 「比丘たちよ! 大海洋の中、一匹の目の見えない亀がいて、この亀が、計り得ない程の深い海に飛び込んで、彼の頭は、彼の身体を、あてもな…

般若の独り言~メメント・モリ

先日、アチャン・マハー・ブーワの法話集 『阿羅漢向・阿羅漢果』の翻訳を終えました。 これまで、色々な仏教書を翻訳しましたけれど、阿羅漢とはどういうものかが、具体的に分かる本は少ないので、 翻訳できて本当によかったです(当該書籍をご恵送くださっ…

《Vipassanāハンドブック》5-3(F)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《爪頂経》(nakhasikha)において、以下の様に述べている: ある時、仏陀は少しの土を取って、彼の指先に乗せて、弟子たちに聞いた: 「比丘たちよ!私の爪の上に乗っている土と、大地の土と比較して、どちらが…