Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-76

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 同様に、比丘たちよ。 ここにおいて、ある愚鈍な比丘が、行き先への知識がなく、また、欲楽からの完全な遠離、不善なる法からの完全なる遠離がないまま、尋、伺、喜、楽及び静寂で楽の生じる初禅に入り、安住する…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-75

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「比丘たちよ。たとえば、一頭の愚鈍な牝の野生牛が、行先への知識がなく、危険な崖のある山の中を歩く事にも慣れていないとする。 彼女は想う:『私がこれまで行ったことのない方角へ行き、これまで食べたことの…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-17

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 学生たちは、彼らの教師の様子をみて、心を痛め、意気沮喪し、教師は彼らと同じ凡夫であると断定し、教師への尊敬心を、喪失することがある。 聖者であっても、心を痛めるということがあることを、 ≪仏陀の聖弟子…

是誰庵のひとやすみ~パイナップルリリー

↑ <パイナップル・リリー>の蕾 一か月ほど前に、ホームセンターで<パイナップル・リリー>の球根が売られていました。 以前、我が家に送られてきた種苗会社のパンフレットで見たことがあって、「あ、これこれ!」という感じで、お買い上げ。 その球根を鉢…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-74

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-7 定に住することを重視すべき では、引き続き、安般念についての解説を続ける。 あなたが、安般念似相の初禅に専注することに到達し始めた時、あなたは常に入定し、不断に、定に住する時間を延ばすようにする…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-73

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-10 定育成の決意 「定育成の決意」とは、定の境地を育成すると決意することである。 その意味内容とは: 定を重視し、定に傾向する事である。 (+座禅・瞑想における)一回毎の姿勢の内に、禅相に専注する、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-16

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 学生 今日、学生たちが教師を探し求める時、彼らは完全無欠な教師を追い求める傾向がある。しかしながら、彼らは完全無欠な学生だけが、完全無欠な教師得る資格がある事を、どれほど理解しているだろうか? 良師…

是誰庵のひとやすみ~もしもお金が・・・

ある知り合いの fecebook をみていたら、Alan Watts という哲学者の言葉の紹介がありました: 「もしも(この世に)お金が存在しなかったら、(あなたが本当に)やりたいことはなんですか?」というのです。 私もつい、若かったころのことを思い出しました。…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-15

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二、(個人的な)特別な業処 特別な業処を適切な形で与えるためには、教師は学生の主要な性質(性格)を決定しなければならない。これは非常に困難な作業である。 というのも、大部分の学生は、己自身を理解して…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-72

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-7 平捨の心で心を観ずるべき時に平捨の 心で心を観ずる 彼は、如何にして、平捨の心で心を観ずるべき時に平捨の心で心を観ずるのか? 修習の最中、彼の心が平静な道に進入するならば、禅の修行は順調であると…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一、普遍的に適用される業処 (一)慈愛 1、サンガに慈愛を送る。一緒に住む人々に、慈愛を送る。このように実践すれば、お互いに相和して暮らせる。 2、彼が以前、托鉢をした事のある村の指導的人物に慈愛を送…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 良師の止禅における役割 質問:良師の、止禅における役割とは何か? 答え:良師の役割とは、二つの方面において、止禅業処を(+決定して)与える事である。 故に彼は、「業処の授与者」と言われる。 止禅の段階…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ◆結論 (一)良師の重要性とは、以下(+の要素)を含む: 1、良師について学ぶ時にのみ、あなたは己自身の、限界のある思想の枠組みから、抜け出すことができる。 2、実際に修行を開始した時、多くの複雑な問…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 4、事実上、上記に述べた事は、最も快速で、最も有効な、学習方法である。 これは、ちょうどヤクの容貌を研究しようとする時、本に書かれている文言を読んだり、または、そこに描かれている絵図を見るが、そうし…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-72

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-6 心が策励されるべき時に心を策励する 彼は如何にして、心が策励されるべき時に、心を策励するのか? 心が、智慧の力が弱いために、または安寧の楽を証得することが出来ないがために、倦怠を感じる時、彼は…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2、修行とは、我々が想像しているような、そのような簡単なものではない。 書物はただ単に、一般的な指導方針を提供しているに過ぎない。 一たび、我々が実際に修行を開始すると、非常に多くの、複雑な問題に遭…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 良師の重要性 多くの人々は、彼らの歩むべき、心霊上の修行の道における教師の重要性を、しばしば低く見積もりすぎている。 彼らは、決して、時間と精神及び努力を払って、良き師を探し求めようとは、しない。 彼…

是誰庵のひとやすみ~花鳥風月

子供のころ、日本や中国の禅僧が、ひなびた田舎の陋屋に住んで、花鳥風月を愛で、己の境地を詩文にして認めているのを読んで、ちょっとした反発心を持ち、また、不思議にも思っていました。 それって現実逃避じゃないの?花鳥風月を愛でたって、世の中、ちっ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2、あなたが理解できる方式で止禅に関する 問題を回答する 彼は、あなたが理解できる方式で、止禅に関する問題を回答して、あなたに最も適合する方式で、奥深い教授をすることができる。 上記の事(+を実践する…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1、あなたに適合する特別の修行の道を授与する教授(+内容について) 「修行の道の教授」とは、教師が、あなたの修行が段階を追って進歩するように支援する時に、用いられ言葉である。 修行の指導は、大衆に仏…

是誰庵のひとやすみ~瞬間的存在

昨16日の<是誰庵のひとやすみ>に、「口中有斧」という題で、雑感を書きました。 そこで、ゴータマ仏陀は「『私は侮られた』と怒る者は愚か者である」と言っている、とご紹介しました。 そして、人を侮る人間は、心が病んでいるのだから、相手にする事はな…

是誰庵のひとやすみ~口中有斧

きちんと記録したわけではないので、多少の記憶間違いがあるかもしれませんが、某大臣が「地震、津波の被害が東北でよかった」と失言して、失脚しましたね。 去年は熊本・大分地震があり、先日は福岡・大分豪雨がありました。 すると私に「(首都圏から)わ…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-70

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (三)衆生と物を偏愛する人から遠く離れる: (甲)衆生に対して偏愛する人とは、己の子女など、俗世の家族を非常に愛惜する人をいう。 また、己の弟子、友人、戒師などなどを非常に愛惜する出家者も含む。 この…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> これは非常に重要な点である。 ここで、ただ自ら証悟しただけでは、あなたは、よい教師にはなれない、と言っている事は、すなわち、あなたは、あなたと同じ道を歩む学生しか導けないから、というのがその理由であ…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 良い師の資格 よい禅修行の指導者は、どのような資格を具備しておくべきであろうか? 主要な資格は以下の二種類である: (一)彼自身に実体験的な証悟があること 故に、もし漏尽者を得ることができるならば (す…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (一)彼は、親身で、まじめで、尊敬できる人である あなたとこの先生は、非常に強い因と縁がある必要がある(業の繋がり)。 通常、非常に強い業の因と縁の繋がりにより、あなたは、あなたの先生に対して、真心…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-69

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (二)彼は以下のような、二種類の方法を通して、「物に執着しない態度」を策励する: (甲)このような(+考えを)通して、(+己を)所有しない者として、思惟する: 「この袈裟は退色する、古くなる、雑巾に…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-67

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-5-3 捨覚支を生起させる事の出来る五種類の方法 捨覚支を生起させる事の出来る、五種類の方法がある: 1、衆生に対して執着しない態度: 2、物に対して執着しない態度: 3、衆生と物に対して偏愛する人(…

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> あなたの(+仏法に関する)基礎が強固になった時、あなたは多くの先生について学んでも、よい。 その時、あなたは、涅槃へ向かうための、多くの道を学ぶことができる。 その後、あなたは自分自身が、真正の、善…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-66

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (七)心がすでに正しい行道(進むべき道)に進んでいて、不軟弱、不動揺、不沮喪であり、かつ、禅の修行が順調に進んでいて、軽安の道に進入している時、当該の心に対して、彼は策励も、抑制もすることなく、ま…