Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-98)(私家版)

3、唯作無因心(3) いわゆる唯作心とは、業とは関係がなく、純粋に一個の活動に過ぎない。 合計三種類ある: 1、捨具五門転向心 2、捨具意門転向心 3、悦具阿羅漢生笑心 (3-99につづく) <願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>

般若の独り言~運転免許証更新

本日は、朝早くから、隣町に行ってきました。 まず、運転免許証の更新です。 私70代、高齢で、ゴールド免許になりますので、県内のどこの警察署でも手続きできます。 免許センターは遠いし、たぶん、人が大勢いて、立って列に並ぶのは、ちょっとしんどい。 …

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-97)(私家版)

8個の善果報無因心は、善果報心であるが故に、(対象として)取るのは、喜ばしい所縁である。 (善果報心の場合)目が、(物を)一目見る時、それは、喜ばしい所縁であり、それは、過去の善業によって生じた善報である。鼻が、喜ばしい匂いを嗅ぐのは、同様…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-96)(私家版)

推度と悦具行が取る所縁は、きわめて喜ばしい所縁である; 推度と捨具行が取る所縁は、喜ばしい所縁である。 「きわめて喜ばしい」とは、非常に喜ばしいという意味であって、例えば、仏陀に会う等、この所縁は非常に喜ばしいので、生起するのは、悦具推度心…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-95)(私家版)

2、善果報心(8) 8大欲界善心は、8大有因果報心を引き起こす事ができるだけでなく、また、8大無因善果報心を引き起こす事ができる。 それぞれ: 1、眼識と捨具行 2、耳識と捨具行 3、鼻識と捨具行 4、舌識と捨具行 5、身識と楽具行 6、領受と捨具行 7、推度…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-94)(私家版)

7、推度と捨具行: 心は、生滅法である。 領受心が生起して、滅し去った後、また、別の心が生起するが、それを推度という。 推度は、真っ先に、推定と断定をする; これは色所縁である!と。 七個の不善果報心は、みな、喜ばしくない所縁を取る。 心は、必ず…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-93)(私家版)

6、領受と捨具行;色塵が眼根を衝撃する時、一個の識、その名を五門転向というものを生起させる。 五門転向心は、色所縁に向けて転向するが、それはちょうど、これは何であるか、とみている状態であると言える。 心は、生・滅、生・滅するものである故に、五…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-92)(私家版)

身識の所縁は、地、火、風であるが、それはすなわち、地、火、風が直接身識を衝撃するものである事を意味する。 そして、身識は、全身に分布している為、故に、衝撃力は非常に強力である。 衝撃の力が強力である時、捨受が生起するのは不可能であり、それは…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-91)(私家版)

四大に依存して、24種類の所造色が生じるが、眼根、耳根、鼻根、舌根、色(色彩)、音声、香、味は、みな、四大所造色である。 眼識は、色塵(色は所造色)を所縁とし、色塵が眼根を衝撃する時(眼根もまた所造色である)、眼識が生じ、眼識が生じれば、(人…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-90)(私家版)

触は、四大の中の、地、火、風を含む。 なぜ、水が含まれないのか? 鉢に入った水を、手で叩くと、圧力を感じる。 この圧力は、風である; 水の柔らかさを感じるのは、地である; 水の冷たさを感じるのは、火である。 こうしたことから、水の流動性と粘着性…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-17)(私家版)

ラーフラ(Rāhula)王子と、ナンダ(Nanda)王子は、自発的に剃髪得度したのではなく、強制的に出家させられたのである; 如来が、二か国間の戦争を平和的に調整した事に感謝して、釈迦国(Sakya)とコーリヤー国(Koliyā)の市民は、500人の青年を送ってき…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-16)(私家版)

教法は、唯一、心霊(=心)が安らかな者の為にのみ建立された港ではない。 それは、人々にとって、イライラと落ち着きのない様子から、静かな落ち着きに向かう、転換点でもある。 一人の人間が、仏法の道に歩み入った時、たとえ、具体的な目標がなくとも、仏…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-15)(私家版)

ある種の仏教徒は、この状況を見て、非常に深く失望し、色々な方法を採用して、仏法を護持する様、提案した。 ある種の人々は、(まったくの選別の余地なく)誰にでも剃髪得度するのは止めて、優秀な人間だけを選んで、剃髪得度するるべきだ、という。 しか…

般若の独り言~禅病と東洋医学(三焦油膜について)

2020年の7月に、『禅病を超えて』という題で、 12月には『禅病が治りました』という題で、 当ブログにおいて、文章を発表しました。 その時は、<禅病は治ったもの> として、大体の経緯と感想を書いたのですが、実は、初期のパニック・・・ 症状が余りに不…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-14)(私家版)

新しい生徒を教授する責任を持つ導師が、もし、柔和で自律的な学生を育成したいと考えるならば、彼を、上に述べた機関で教育を受けさせるだけでは足りず、少なくとも、その内心に、本書で含まれている所の仏法を建立せしめなければならない。 多くの人々が、…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-13)(私家版)

”Satthari kaṅkhati vicikiccati; dhamma kaṅkhati vicikiccati; saṅghe kaṅkhati vicikiccati; sikkhāya kaṅkhati vicikiccati; pubbante kaṅkhati vicikiccati; aparante kaṅkhati vicikiccati; pubbantāparante kaṅkhati vicikiccati; idappaccaya…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-12)(私家版)

スリランカの現代の伝統では、一人の子供が出家する時、先に、専門学校または仏教学院において、訓練を受けなければならないことになっている。 しかし、これらの教育機関は、サーマネラの段階における、関連する戒律と行持の、完璧な教育を提供する事ができ…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-11)(私家版)

本書は、専門的な研究資料を収集して編纂されたものではなく、早期の導師の方々の著作、教誡と開示(法話)を集めたものである。 しかし、我々は、本書の情報の信頼性を確保する為に、多くの心血を注ぎ、根源を追究する様努力し、幾つかの資料の原始的出自を…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-10)(私家版)

我々は、ただ一冊の本の中から、完全な、すべての、掌握するべき仏法を、見つけ出す事はできない。 というのも、これらの仏法は、三蔵の中の、異なる典籍の中に、分散・分布しているが故に。 もし、学生が、一人の老師(指導者、教師)につき従って学習した…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-9)(私家版)

一人の、優秀な僧人(注1)を育成するには、唯一、彼らの心を調御するより他に方法はない。如来は、もっぱら、僧衆の為に、多くの仏法を開示したのであるから、僧人は、これを学習し、かつしっかりと覚えておかねばならない。 もし(寺院が)これらの仏法を…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-8)(私家版)

(人が)剃髪得度者を探し求めた後、サンガに参入した場合、彼らの心を、サンガの生活に適応させるには、幾つかの方法を必要とする。 ここにおいて、新参者に対して、仏法を学ぶ様に、導かねばならない。 この様にして、仏法が、彼らの内心に深く植えられる…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-7)(私家版)

心出家とは、内心の不善、すなわち、諸々の貪愛、傲慢、我見、瞋恚、嫉妬と吝嗇等を取り除かなければならない(事を意味する); 同時に、心の中において、僧人が具備しなければならない善法、すなわち、慈愛、憐憫、信心(=仏法への信頼と確信)、智慧、少…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-6)(私家版)

この様なことから、彼はまた、この類の活動に対して、なるべく逃避するであろうし、たとえ参加したとしても、そそくさと、お茶を濁すだけであろう。 そして、彼は、在家の仕事に従事する事に喜びを見出し、片や、出家しておきながら、片や、俗人の活動に勤し…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-5)(私家版)

仏子は、教法の中において出家する利益を、確実に獲得する為には、身・心共に、出家しなければならない。 一人の人間が、ただ、身体の剃髪得度を完成したものの、いまなお、在家の心でいるならば、彼の出家生命は、楽しいものにならないし、彼はまた、己自身…

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(5-4)(私家版)

出家とは、一人の人間の、その身と心がともに、仏陀の教法に具入する事を意味する。 髭と頭髪を剃り落とし、俗装を放棄して、袈裟を纏う。 (しかし)これは、ただの身出家である; 俗心を捨てるのは、髭と頭髪や俗装を捨てるほど、容易ではない。 一人の凡…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-89)(私家版)

5、身識と苦具行: 眼、耳、鼻、舌という四個の識は、すべて捨具行であるが、なぜ、身識は、捨具行ではなく、苦具行なのであるか? というのも、眼識、耳識、鼻識、舌識は、それぞれ色塵、声(音)塵、香塵、味塵を所縁に取るが、身識は触塵を所縁に取るが故…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-88)(私家版)

2、耳識と捨具行: 一歩家を出ると、耳触りな音声が聞こえ、心が不愉快になった。 これも同様に、過去の業と関係がある。 故に、天を恨んだり、人を憎んだりしてはならない! 因があれば、必ず果が生じるが故に。 3、鼻識と捨具行 4、舌識と捨具行 5、身識と…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-87)(私家版)

1、眼識と捨具行: すなわち、捨具眼識という意味である。 故に、我々の眼識は、果報心であると言える。 一歩、家を出て、喜ばしくない所縁を見た時、例えば、目の前に、糞便がころがっていたとして、その時、不善捨具眼識が生じる。 これは、過去の悪業によ…

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-86)(私家版)

1、不善果報心(7) 不善果報心は7個ある。それは、12個の不善心所から生じた果報である。 1、眼識と捨具行 2、耳識と捨具行 3、鼻識と捨具行 4、舌識と捨具行 5、身識と苦具行 6、領受と捨具行 7、推度と捨具行。。 (3-87につづく)

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-85)(私家版)

18種類の無因心 我々はすでに、不善心(12)、美心(24)の研究をした。今、無因心(18)の解説を行う。 その因は、合計6種類ある: 一つは、3個の善因ーー無貪・無瞋・無痴; 一つは、3個の不善因ーー貪・瞋・痴。 所謂因とは、心をして安定させる要素の事…