Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

般若の独り言~翻訳休みます

本日は一月30日、早いもので、新年より、もう一か月が過ぎました(年を取ると、月日の流れるのが速いそうで・・・)。 二月下旬に、台湾にリトリートに行きます(嘉義法雨道場&苗栗法華寺。指導は共に、本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)) その準備のため…

翻訳『禅修指南』(3-44)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 骨格の不浄、厭うべき相で以て、定力を育成する時、あなたは「骨格」の概念を捨てて、骨格の厭わしさにのみ、注意を払わねばならない。 《清浄道論》によれば、骨格の全体または、身体のある部分(32身分)の(1…

翻訳『禅修指南』(3‐43)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> あなたの好む、どの様な言葉でもよいので、それでもって、黙念する。 あなたは、心を平静にして、骨の不浄で、厭わしい相に専注し、それが、一時間または、二時間持続する様にする。 骨格の(1)色、(2)形状…

翻訳『禅修指南』(3-42)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《白骨観》 あなたは、32個の部分を、一つの全体と見做すか、または、その中の一つの部分を取り出して、不浄観の修行の対象とする事ができる。 我々は、どの様にして、32身分の中の一つである白骨観を修行するの…

翻訳『禅修指南』(3‐41)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《涅槃の三門》 ここにおいて、私は、涅槃に向かう三門について、解説したいと思う。 《大念処経》(Mahāsaṭipaṭṭhāna Sutta)において、仏陀は解説して以下の様に言う、四念処の法門は涅槃へ向かう唯一の道であ…

翻訳『禅修指南』(3-40)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 次に、これまでと同じく、目を閉じたまま、禅定の光を運用して、あなたに最も近い人またはその他の衆生を識別する。特に理想的なのはあなたの前方に位置する人が良い。 その人または衆生の32身分、頭髪から始めて…

翻訳『禅修指南』(3-39)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上述の順序に従って、逐一識別する。 まるで鏡を使って己自身の顔を見る様に、はっきりと、身体の各部分の存在を透視して、当該の身分(注9)を確認する。 この様に修行していて、もし、あなたの禅定の光が暗くな…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E- 6)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳 (P87) この四種類の究極法について、(+論蔵は)衆生に対して、微細な分析と詳細な解説を行い、一切は、因と縁の条件と四大の仮合であるとした。 最後に、すべての、終極…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E-5)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳 (P86) 論蔵(アビダンマ): 論蔵・・・ある一人の、思考を好む人間から言えば、論蔵とは、非常に重要で、かつ有意義なものである。 それは、仏教における、すべての高度で…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E-4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳 (P85) 經蔵: 經蔵とは、主に、仏陀が色々な場面において述べた所の、教義を収録したものである。 その内、仏陀の弟子、例えば:シャーリープトラ(Sariputta)、アーナン…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E-3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳 (P84) 律蔵: 律蔵は、比丘と比丘尼の生活上の戒・律を記載したものである。 それは、仏陀の教えた戒・律と道徳的な生活の漸進的な進展を記録したものである。 それはまた…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E- 2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳 (P84) 紀元前3世紀、Asoka王の時代、第三次結集が行われた。 この回の結集において、僧たちは、經蔵と律蔵に対して、みな意見を発表し、經蔵と律蔵に対して、一致してその…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳 (P83~) 《三蔵経典》 三蔵経典は、仏陀が、45年間、弘法された所の教義を結集したものであり、パーリ語によって記録された仏教経典である。 その内には;律蔵、經蔵、論蔵…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(D-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀が入滅して数百年の後、彼の信徒たちは彼の教義を組織化して、宗教を形成することとなった。 彼らはその他の信仰、各種の奇跡、神秘、占い、まじない、霊符、壇場、お告げと各種の儀式を混ぜ込んだ。 これら…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(D-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《究極の真理》 (P 76) 究極の真理は、仏陀の教えの中に、見出す事ができる。 仏教は、二種類の真理が存在している事を認めるーー普遍的な真理と、究極的な真理である。 究極的な真理は、理論的または推測によ…

翻訳『禅修指南』(3-38)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> もし、32身分を修行したいと思うならば、あなたは先に、安般念によって、第四禅に到達しておかねばならない。 禅定の光が明るく輝き、その光が四方に放射する時、この光の助けを借りて、あなたは身体の32の部分に…

翻訳『禅修指南』(3-37)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 次に、(座禅堂の中において)あなたの前に座っている禅修行者の 32身体部分を、修習の(+対象として)転換する。 迅速に、頭髪から尿へと照見する。 もし、この様に外観をすることができたならば、己自身の 32…

翻訳『禅修指南』(3-36)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> その後、逐一、グループ毎に観察する。 もし、グループ毎の、身体の 32の部分の照見に成功したならば、次には、同時に 32の身体部分すべてを、遍観できる様に、修習する。 すなわち、頭髪から尿まで、次には、尿…

翻訳『禅修指南』(3-35)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (20/560) 《身至念(32身分)》 《増支部・三集・10-5掬塩品・11-相経》(Aṅguttara Nikāya、Tika Nipāta、10-5 Loṇakapallavagga、11-Nimitta Sutta)において、仏陀は、止禅心と観禅心の二者共に、明るい光が…

翻訳『禅修指南』(3-34)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《定の修習におけるその他の法門》 前書き 安般念を修行して、第四禅に到達する方法は、すでに解説を終えた。 禅修行者が安般念によって第四禅に到達し、かつ五自在の修習に成功した後、禅定の光が明るく輝き、光…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(C- 3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏法は、2500年前に、ゴータマ仏陀によって齎された。 仏陀は、彼の教法を宣揚する時、我々に対して、生命と世界について、理解する様、要求しただけではなく; 彼が発見した所の真理は正しく、また、実現性のあ…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(C- 2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ある種のインテリは、仏教を古代インドの文化・環境の産物だと見做すか、または、インド宗教の一種だと見做している。 実際は、仏教はこの様なものではなく、仏教とは、神聖な真理なのである。 仏教とは、正覚の…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(C-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳 (P70~) 《仏教とは何か?》 仏教とは神聖なる真理である。 仏教とは何か? この問題に、人々は困惑し、混乱して来た。 故に、人々は、常々、この様に質問をする: 仏教は…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(B-4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 三番目の回答方法。 反問する方式でもって、質問者自身に疑問を解決させる。 例えばある人が問う: 「殺生はなぜ罪だと言われるのですか?」 これを彼に反問する: 「もし、その他の衆生があなたを殺害したならば…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(B- 3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二番目の回答方法。 分析と思考を必要とする質問。 例えば人が、以下の様な質問をしたとする: 「アングリマーラは、阿羅漢を成就する前は、一人の残忍な殺人者であった。彼は、阿羅漢になる資格など、ないではな…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(B- 2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀には、提出される質問すべてに回答するという考えはなかったーーあれら意義のない質問、または質問者が答えを聞いても理解することができない問題。 仏陀は非常に現実を重視する導師であり、慈・悲の心と智慧…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(B-1 )

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳 (P45~) 《仏陀の沈黙》 質問した当人に、その回答を理解できる能力がないと思われる時、または質問自体が本質的な錯誤を含んでいる時、仏陀は沈黙を守る。 經典の中の記載…

翻訳『禅修指南』(3-33)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上記の修習に成功した後、第四禅に進んで修行したいのであるならば、あなたは第三禅の欠点と、第四禅の長所を、思惟しなければならない: 第三禅の楽禅支は、粗くて劣っていて、そのため第三禅は、楽のない第四禅…

翻訳『禅修指南』(3-32)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上記の修習に成功した後、第三禅の修習に進みたいのであるならば、あなたは、第二禅の欠点と、第三禅の長所を、以下の様に、思惟しなければならない: 第二禅は初禅に近く、またその喜禅支は粗悪で劣っており、そ…

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(A- 3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳 (P24) 仏道を証悟してから後初めて、世の人を度するべきだという人々の思想は、原始の仏教の教義の中には出現しない。 この種の思想は、人間すべてが医者になって、己自身…